自分の中で満たされない気持ちや劣等感が強い人ほど
止まらなくなる不平不満や悪口
人を見下すことで一時的な優越感や脳内で快楽物質が出ての中毒のようになり
一瞬スカッとはするけど同時に言っている自分の自尊心も下がってしまいます。
自分も言っているから相手もそう思っているだろうという暗示が生まれるんです。
悪口を言っていると、同じように悪口が好きな人が寄ってくるし
うまくいかないのはあの人のせいという「他責思考」になります。
誰かを悪者にし自分をかばう防衛本能だったり自己愛の強さなのだと思いますが
そうであったとしても
自分を上げて話し人を貶すというのは見ていて気持ちいいものではないですよね
常に周りが間違っていて自分が正しいという認識、これは運気が下がる前兆です。
自分のこんなところも悪かったという所は見えなくなり
環境が変わらない限りなかなか気づけないのだと思います。
その人のいない所でわざわざ話題が出るのは
その人が注目されていて興味があるということ
決して興味も魅力もない人の話題などしないと思います。
ほとんどが嫉妬だったり自分がしたいけどできないことをしているという憧れのようなものからくるもの。
憧れと嫉妬は表裏一体なのかもしれません。
ある方がこう言っていました
『陰口や悪口は言われる方が完全に勝ちなんだよ』と
悪口が好きな人の顔色を気にする必要もないし
ご機嫌うかがいをする必要もない。
なぜなら悪口が好きな人はどんなに親しい人でも、あなたも含め関わるほとんどの人の悪口を言っています。
さっきまで悪口を言っていた相手に本人の前では最高の笑顔で会いたかったわ~という豹変ぶり(笑)
そんなに憎いのになぜ仲良くするの?というのは「利用できる」という気持ちがあるからでしょう。
羨ましく思う相手ほど悪口が倍増するので言う頻度が多い人ほど自分を脅かすほど力があると感じていたり。
誰かを下げて自分に注目してほしいという自己中心的なもの。
でも誰かを見下して言った所で自分の価値が上がるわけでもなくむしろ信用も落ちる。
あの人があなたをこう言っていたと間接的に悪口を聞かせる人もあなたにとって『毒でしかない相手』
あなたが悲しんだり落ち込む姿をみたくて言っているんです。その人自身は平気な顔をしてその相手と仲良くしていること多いですよね。
群れないと不安で自信がないとしても、関わる人は選ぶ必要があります。
優しい人は自分の傷みより相手を優先し我慢をする、でもそれが限界になると突然いなくなる
裏切られたのではなく今まで優しさに甘え、それが当たり前に思ってしまい限界に気づいてあげれなかったのかも
言っても伝わらなかったり変わらないなら離れるという選択をしているので、あなたを変えようとしないだけ
よく怒る人はあなたが幸せになれるかどうかは関係なく
自分の思うようにしたいという気持ちが強いのかもしれませんね。
あなたが人生をどう生きようとあなたの人生はあなたのもの
誰かの不機嫌や口だけの褒めや感謝のためにがんばる他人軸はやめ、自分のための人生を大切にしましょう
付き合う人は多さではなく「質」
何を食べるかではなく、誰と食べるかで美味しさが違うように
どんな人と付き合うかは自分で決められる。
失敗した回数だけ成功や幸せは大きくなるから心配しないで大丈夫だよ
『奇跡のリンゴ』という映画を先日みて素晴らしかったので
大好きな映画の一つになりました
何度も失敗し、周りから白い目で見られ罵倒され孤立しそれでも愛する人のために懸命に努力する姿
この映画の主人公の木村さんは、映画には出てこなかったもう一つすごく有名なぶっ飛びエピソードもあり興味深いです。
畑や作物を育てるって奥が深いな~毎日食べているお野菜やお米も作ってくれている方に感謝です
親戚から畑で収穫した大量の新玉ねぎや、スナップエンドウ(めっちゃ好き)をいただきおいしくいただいています
バッタがいる