「疾きこと風の如く 静かなること林の如く
侵略すること火の如く 動かざること山の如し」
戦国時代の武将で、唯一城を持たなかった武田信玄の言葉です。
「武田節」の中で、詩吟として語られている「風林火山」
なぜか今朝、このフレーズが浮かんだ。
なぜこんなシブい唄を知ってるかというと
わたしは19,20、25歳と山梨に3度ほど住んだことがあり
そのどれも2ヶ月~半年と短いものだったけど
出稼ぎ?お座敷コンパニオンをしていたのです。
(芸者さんともいう)
わたしは人前で歌うのが大の苦手で
音楽のテストは必ず仮病を使って保健室に逃げ込んだくらい。
幼い頃、母親にからかわれたことが原因でした。
お座敷コンパニオンの仕事は唄や踊りを踊って、お座敷を盛り上げる仕事。
どうしてこの仕事を選んだかは、3食部屋つきで給料もよかったので
3回とも東京で部屋を借りる資金としての駆け込み寺でした。
アルバイトとして入ったわたしはまだ若く、
芸達者のプロの芸者さんの中で
話術もうまくない、踊りもできない、
とくに唄えないことで置屋の姐さんにいじめられ、
くやしくてみじめでぽろぽろ泣きながら唄ったのを覚えています。
生まれてはじめてのカラオケは8トラで「夢は夜ひらく」でした(笑)
そのうち、ヤケクソでいつのまにか100人のお座敷でも歌えるようになりました。
そのころは「旅の恥はかき捨て」が座右の銘でした。
2回目は、7人の沖縄の人たちと生活しました。
置屋のお父さんが沖縄の人と結婚したのでたくさん出稼ぎにきてました。
たった2ヶ月でしたが、なぜかそこで沖縄の文化を学びました。
(今振り返ると、いつもどの仕事も沖縄の人と関わっていました)
置屋が元すし屋だったので、みなさん寿司ネタの名前でした。
源氏名はなぜか「ハマグリちゃん」
ハマ姐さんと呼ばれてました(笑)
3回目のとき、わたしはたくさんの夢を持っていたので
あっというまに700人の見番の中でNO1になることができました。
時はバブルの時代、こうした仕事も全盛期でした。
あちこちの観光ホテルや割烹旅館に出張し、
当時は90分で12000円という花代(線香代)、その60%が自分の手取りとなります。
2次会でご飯を食べるだけでギャラをいただけるので、
いかに楽しませ時間を延長してもらうかが勝負。
当時から占い(西洋占星術や人相学)や心理学が好きだったので、
それをフル活用してお座敷を盛り上げ、見事に返り咲きました。
直観力を生かして?ジャンケンが得意で野球拳とかで賞金もいただきました(笑)
ホテルも売り上げを伸ばしてくれるということで指名も増え、
お休みは月1度、1ヶ月300時間労働という伝説的な記録と目標の貯金を残して
半年できっぱりやめることができたのです。
源氏名は「さくら」 大好きな桜のように潔く咲いて散りました。
そして、あの死にかけた時に見た夢をすべて叶えました。
1回目と2回目はお金のために自分を殺す、つらい毎日でしたが
この3回目は夢達成のためだったのと、
持ち前のサービス精神を花開かせ、自分が楽しむゆとりで売れっ子になったのです。
なれてくるとどんな仕事も遊びになり天職となる。
いつまでたっても慣れない仕事は、自分を殺すことになる。
「武田節」はご当地ソングとして必須、毎日唄っていました。
お偉い社長さんたちが目をつぶり、小娘の下手な詩吟に耳を傾ける。
なんか、可笑しかった。
わたしたちは喜ばせ遊ばせることが仕事なので、下ネタもへいちゃら。
どんなにすごい人も、酔っ払いでも、
わたしたちの手にかかれば子供のように素直になって笑ってくれる、
セクハラの回避法は相手の上手をいくことです。
弱いから、つけこまれる。
自分を守る方法をいつしか身につけてました。
いつでも失敗すれば、またここに戻れる、それが安心感となって
わたしは新しい天職に進むことができました。
そして、戻ることは2度とありませんでした。
おかげさまで今は、何が起ころうが、
どこで何をしても食べていけるという自信につながりました。
こうした仕事は武田信玄と同じく、城を持たない。
どうやって生きていくかは、自分のアイデア次第だと学んだのです。
こうした水商売は世間では眉をひそめる方も多いでしょう。
ここには書ききれない、波乱万丈な人生を送ってきました。
もしかすると、こうした前歴が今の仕事にマイナスイメージになるかもしれないし?
でも、そんな偏見を持つ方は、もともとわたしの元へはいらっしゃいません。
自分のやりたいことを見つけたい方、
ほんとうの自分を知りたい方
本気で人生を変えたい方
人目が気になって進めない方
自分はダメだと思い込んでる方
みなさん、わたしの体験を聴くだけで、なんでそんなことで悩んでたのかわからなくなる(笑)
そして、自分のほうがマシだと勇気を出してくれるのかも?!
あえてこうして書いたのは、
どんな仕事もプライドを持って進むこと
そしてどんな仕事も、そこから学ぶこと
どんな仕事も尊いということ。
そして自分という個性のオリジナリティをもつこと
世界中探しても、あなたと同じキャラは存在しません。
その大切さを伝えるためです。
必要としてる方に届きますように。
てなわけで、当時と今をつなぎながら、作ってみました♪
↓
新説・風林火山
「時こと風の如く」
(疾きこと=早いという意味ですが「時」にひっかけました)
すべての出来事は流動的であり、つながっていた。
風は見えないけれど、雲となって動き続ける。
そしてこれからもどこへ行くかは自由だ。
「静かなること、林の如く」
ときに外から来る風でざわめいても
心を澄ませば、静かな自分に戻れる。
そして自然体の自分というリズムを取り戻せる。
「侵略すること火の如く」
ときには怒りや欲もエネルギー源となる。
ただしそれは持続しない瞬間的なもの、
ほんとうの炎とは愛を灯すのことだ。
火は鉄をも溶かす=愛は心の壁を溶かす
外の世界に向けるのではなく、自分の内に灯すのが情熱というパワーなのだ。
「動かざること山の如し」
山は動かないから、人はそこを目指して登る。
春になり、夏が来て、秋がきて、冬が来て
季節の移り変わりを映しながら姿形を変えようとも、山は山。
山は信念であり、ほんとうの自分の姿。
山はそこに在る!