バリ島から25年来の友人の直子さんが沖縄に来てくれました。
今日から宮古島のYOGAの合宿に参加するそう
彼女とは初めてバリに訪れた時に知り合いました。
当時は妊娠中でレギャンストリートにお店を出したばかり
その頃のバリはたびたび停電したり電話もなかったり
見知らぬ外国で子供を産み、仕事をするなんて
なんて強い人だろうかと思いました。
インド系インドネシア人、パートナーのダスさんと共に、
インドやタイ、ネパールを2年間巡り
その地の路上で販売していたという、いわば大先輩
当時のわたしは輸入~路上販売を始めて2年目
韓国の仕入れ先で出会った同業のインドネシア人の友人の紹介でした。
当時はバブル全盛期でボディコンなんて流行っていて、
見栄を張り高級外車を乗り回し、ブランド志向に偏っていましたが
バリに来て人生観が大きく変わりました。
大自然と太陽の下、新しい自分を発見したのです。
それから毎年3~4回訪れて、バリ島とのお付き合いも40回近くになりました。
太陽の熱さと日陰の涼しさ
南国特有のまったり感と、そこで仕事をこなしていくスピード感
陰と陽のバランスが極端でとても居心地よかったのを覚えています。
(台風が来たとよく言われました)
沖縄に来る前はバリ島に移住しようと思っていました。
バリ島にはスピリチュアルで対等に仕事のできる女性がたくさん住んでいたからです。
わたしはむかしから仕事=遊び、仕事が大好き人間だったので
好きなこと、価値観が同じ人のみが友達になれる、そう信じていました。
そしてその大好きな仕事を通して対等でいれるタイプ、
当時から特殊な仕事をしていたせいで、同性の友人が少なく
ショッピングやお茶をする友人なんて、ほとんどいませんでした。
とくに子育てをしてるときは、違和感とさみしさを感じていました。
ここには仲間がたくさんいる、そう感じていました。
ある時、なぜバリ島に住みたいのかと質問されたとき、
理由をいくつかあげました。
●寒いのが苦手だから
●長年の夢が南の島に住み海を見て暮らすというということ
●楽天的でエキゾチック
●クリエイティブになれるから
●バリ島にはスピリチュアルで自立した女性が住んでいるから
●自然体でいれるから
●物価が安いので、楽に生活できるから
●物価が安いので、お手伝いさんを雇えて家事をしなくてすむから
●お金さえあれば、ビザがなんとかなるから
(本当はハワイに住みたいけど、グリーンカード入手が困難という理由)
それはあなたの制限よ、
わたしをこの道にいざなったその方はそう言いました。
たとえば安い賃金でしかお手伝いさんを雇えない、という思い込み
どうして、日本では無理とあきらめているのか
その時、わたしはハッとしました。
上記のすべての理由が、すべて制限と気づいたからです。
どうして、バリ島でしか夢の実現は不可能と思うのか
どうしてバリ島でしか話の合う友人ができないと思うのか
どうしてバリ島でなければクリエイティブになれないのか
目からうろこが落ちてみると
「バリ島でなければいけない」という理由はありませんでした。
そして今、沖縄に住むようになり
●1年のうち10か月は半袖&サンダルで
●毎日海を見て暮らして
●スピリチュアルで自立したすてきな女性たちとたくさん出会って
●自然体で付き合える対等な人間関係を築いて
●楽天的でエキゾチックに
●クリエイティブを仕事にして
●行きたいところに自由に旅をして
●お手伝いさんはいなくても、周囲の人に助けられて
毎日楽しく暮らしています。
直子さんの娘のメナちゃんは医者になったそう
わたしの娘も19歳になり、将来の夢に向けて進んでいます。
小さい頃によく家族で訪れたバリ島のことをよく覚えていました。
都会育ちの娘も今では
「沖縄に来てよかった」そう言ってくれたことがうれしかった。
移住当初よく聞かれたのが「どうして沖縄に住もうと思ったのか」という質問
「このまま永住する覚悟はありますか」
わたしはまだわからないと2年目まで答えていました。
理由をいろいろ考えたりして。
今はまだ長い人生の旅の途中、
まだ先に目的地があるかもしれないと思っていました。
今では、なぜかそんな質問もされなくなりました。
理由なんてない、今はそう言い切れるからかもしれません。
今回、直子さんにこう伝えました。
いろいろ旅をしてきたけど、沖縄が世界で一番好き!
あれからインドネシアの物価は高騰し、バリ島にもバブル時代が到来。
美しい大自然はまだ残っているけど、競争や物質世界へと移行しつつある
人々の暮らしも豊かになった反面、貧富の差がジェラシーも生み出す
今年5年ぶりに訪れたバリ島の中でそう感じた。
わたしはここにたどり着くまでの長い旅をしてきたんだ、と。
今もなおバリ島の夕陽の美しさは、沖縄のそれには及ばない
今もなお世界中からバリの神秘に惹かれた沢山の移住者たちが生活している
だけど、わたしは沖縄が好き。
沖縄の気候も自然も人も生活も、
ここにいるわたしもすべてまるごと愛している
魂の声に導かれたからこそ、わたしはここに来たのだと。
直子さんが「わたしも沖縄に住みたい」と言った。
わたしはうれしくなった。
直子&ダスはわたしの理想のパートナーシップでした。
お互いが自立し、お互いが尊重しあっていた
最愛のパートナーを亡くしてからの彼女が
今こうしてさらに強くしなやかに
自分の人生を生きているということがうれしかった。
18歳で上京してから思い返せば、
仕事先にはいつも必ず沖縄の人がいた。
そしていつのまにか
点と点が一本の太い線となってこの地に導かれた。
わたしはここで、ここの神様との約束を果たしていこうと思います。