深水黎一郎 「五声のリチェルカーレ」
- 五声のリチェルカーレ (創元推理文庫)/深水 黎一郎
- ¥693
- Amazon.co.jp
昆虫好きの、おとなしい少年による殺人。その少年は、なぜか動機だけは黙して語らない。家裁調査官の森本が接見から得たのは「生きていたから殺した」という謎の言葉だった。無差別殺人の告白なのか、それとも―。
少年の回想と森本の調査に秘められた“真相”は、最後まで誰にも見破れない。
技巧を尽くした表題作に、短編「シンリガクの実験」を併録した、文庫オリジナル作品。
◆ ◆ ◆
久々に唸った作品です。
ストーリーもトリックも極めてシンプルながら、これほど考えさせられる作品も珍しい。
何を書いてもネタバレになりそうですが・・・・・・。
とりあえず、「自分で考える」のが好きな読者なら買いでしょう。
例えるならば、Remember11や放送禁止劇場版(第一弾)のような。
あのような作品が好きなら、きっとこの作品も楽しめるでしょう。
以下、ネタバレになりそうな部分は伏字にしますが、出来ることなら以下の文章は読まずに、本書を真っ白な状態で読んで驚いてください。
・・・・・・と、一応注意めいたことを書いたので、以下、本書の核心(と思われる企み)について、述べていきます。
恐らくこれを読んだところで、一般の読者がネタに気づくことはまず間違いないと思うのですが。
この作品は、"必ず"再読を要求します。
自分の初読時の感想は、「冒頭でネタ予想ついたなー」くらいのものでした。
しかしながら、読み終わってどうにも腑に落ちなかった点がいくつか。
それは、”いつ”仕掛けられたのか、真相につきまとう”矛盾”は何なのか、そして短編「シンリガクの実験」を併録した意味は何か、の三点です。
第一の疑問は多くの人が抱くものだと思います。第二の疑問もそうでしょう。しかし、いくら読み返しても、これら、特に第二の疑問に対して答えを出すのは困難です。
第二の疑問の具体例を、ここでいくつか挙げておきましょう。(以下、伏字)凶器の入手経路、頬の火傷、森本の「少年」と仲良かったもう一人の少年への聞き込みの内容など(ここまで)です。
そして、第三の疑問、「シンリガクの実験」の意味です。これは、冒頭におけるあるキーワード(特技)を見ると、本編とリンクしているかのように見えます。しかし、仮に”そう”だとすると、ラスト一行で読者は宙に投げ出されることになります。すなわち、「この主人公は白崎じゃなかったのか」と。そして多くの人は、この短編は本編とは全く無関係なものなのだと納得し、本書を閉じるでしょう。自分もそうでした。
しかし、本当にこの短編には何の意味もないのでしょうか。この作者のことを考えると、全く関係ない、ミステリですらない短編を併録するとは思えません。そこで、ここでは短編には意味があった、と考えてみます。つまり、この短編の主人公は白崎だと考えてみるのです。そう断言する根拠は全くありませんが、そう考える根拠なら存在します。そこで、それに則ってみるわけです。
だとすると、何が導かれるか?
それは、「何故白崎は”普通”な未来を迎えるのか?」という漠然とした疑問です。もちろん、犯罪を犯した後普通に結婚というのもありうる話ではあるわけです。しかし、ここではあくまで、「この文章を著者が最後に位置付けた意図」を考えていくことにしましょう。すると、次のような思考に至ります。
「もしかして、犯人は白崎ではないのではないか? だから彼には普通の結婚という未来が待つのでは?」
ここまで至れば、後は一瞬です。以上の思考過程は”全て過ち”であっても問題はありません。ともあれ、ここでようやく、「真犯人は昌晴ではないのか」という一つの考えが浮かんでくることになります。
実は、こう考えると、犯人を白崎と考えるより、矛盾や奇妙な点が減少することがわかります。何といっても、こうだと考えれば、何故森本や白崎のように昌晴を苗字で表記しなかったのかという一つの”謎"が解けることになります。昌晴の苗字は、「しらさ」から始まるものである。それは白崎でなくても、白沢だろうが白坂だろうが何でも良い。こう考えることに、まったく矛盾はないでしょう。だとすれば、事件の真相は一変します。
こう考えることに対する矛盾点を強いてあげるならば、殺害行為に走る直前の、「気弱そうな少年」に対する認知が若干違和感あるくらいです。しかし、これも、犯人=白崎と考えるよりは、大変薄い要素だと思います。
・・・・・・しかし、しかしです。
仮にこれが本当の真相であるならば、今指摘したその矛盾点、若干の違和感を削除してしまえば、より完璧になったはずなのです。
何故それをしなかったのか?
それこそが、この作品の真の<企み>だと考えます。
あらすじから一部引用しましょう。
「少年の回想と森本の調査に秘められた“真相”は、最後まで誰にも見破れない。」
これを、文字通りに解釈するのです。
つまり、「犯人は二人のうち、どちらも可能性があり、最後まで決定はできない」ということです。こう考える根拠は、作中の少年の台詞にあります。誰が加害者になって誰が被害者になるかは紙一重で、状況次第でいくらでも変わりうる。これこそが、本書を通じて訴えたかったテーマではないでしょうか。
そう考える根拠は、もう一点あります。本書では、あらすじにも記された「誰を殺したのか?」という問いに対して、答えを与えられない、二人のうちのどちらか断定できないようになっているのです。同じことが、犯人にも言えると考えるのは自然な思考です。
本書では、まさに犯人は文字通り紙一重で変わってしまうのです。
――以上が、自分の考える、本書の<企み>の全てです。
これが真意なのかどうかは、結局誰にもわかりませんが。
しかし、これだけ"頭を使わせてくれた"ミステリは久々です。
深水さんには、是非ともこのような路線の作品を今後も書いていっていただきたいですね。