ベレニス/エドガー・アラン・ポー | 無題

無題

いろいろと


本文(英文)

語り手であるエグスは、自らを「偏執症」や「モノマニア」だと認識しているが、そのような障害、特質が、どうしてベレニスの墓を暴いて歯を抜きとるような狂気にまで至ってしまったのだろうか。

辞書でこれらの言葉を調べると、一つのことに異常な執着をもち、常軌を逸した行動をする人、と書いてある。エグスが異常に執着したのは「ベレニスの歯」。しかし彼は空想家でもあり、視覚によってだけで現実を理解していたはずなのに、何故「歯」という実際に存在する物体に心を奪われてしまったのか、私はエグスの人格に焦点をおいて考察したいと思う。

エグスは、何度も一つの物を表現する際にゴシックロマンスの特徴でもある「光と影」のような両極端のものを使っている。

舞台となる”chamber”は”Here died my mother, Here in was I born”と生と死の場所であり、記憶(remembrance, memory)はsoundsや musicalのような明るい部分、shadowという暗い部分を同時に持っている。

これは、長い時間を狭い環境で、本に囲まれ、空想の中で生きてきた彼が、1つの物事を、何かに例えて対比することで定義づけしなければ理解することができなくなってしまった表れだと思う。
また彼は、ベレニスを一人の女性として見ていない。見ていないというより、見ることをやめたというのが正しいだろう。”sound” や”image” というものでしかベレニスを「理解する」ことができないからだ。

そしてベレニスは、” During the brightest days of her unparalleled beauty, most surely I had never loved her.”とあるように、美しいということで彼の愛の対象になるのではなく、むしろ弱っていく姿は恐ろしいものとして描かれている。
それも、心の底から感じるような恐怖である。これは私たちが実体のない、得体の知れないもの(幽霊やUFOなど)に対して感じる恐怖と似ているかもしれない。

彼にとって、痩せ細り、髪の色も変わり変化していくベレニスは認識し難い存在だったのだろう。そんなベレニスの中で、唯一変化のない白い歯は、彼にとってベレニスという存在を理解するためのたった1つの手掛かりであり、徐々にベレニスそのものになってしまったのではないかと思う。
” I shuddered as I assigned to them in imagination a sensitive and sentient power, and even when unassisted by the lips, a capability of moral expression.”と書いてあるように、彼自身の精神を維持するためには歯という存在が無くてはならず、墓を暴くという「常軌を逸した行動」を引き起こしてしまった。

また、彼がとった恐ろしい行動である「墓を暴き、ベレニスの歯を抜く」というシーンに一切触れていないことも、彼の人格から説明できると思う。

まずは、彼が考える現実と空想の境目が曖昧であるからだ。
“I had seen her — not as the living and breathing Berenice, but as the Berenice of a dream” や ” On the table beside me burned a lamp, and near it lay a little box. It was of no remarkable character, and I had seen it frequently before, for it was the property of the family physician; but how came it there upon my table, and why did I shudder in regarding it?” などに、彼の、現実か夢かの判断の危うさが表れ、”in an evil moment, I spoke to her of marriage.”という文章は、現実と思考が同時に進行していない、無意識のうちにしてしまった過ちのような表現である。つまりベレニスの歯を抜くという行動をした時のことも、彼はそれを現実として認識していないため、彼の記憶そのものから省かれてしまっているのだ。

そう考えると彼が現実だと認めているのは、書斎にいる時と、ベレニスに対する恐怖や歯への執着、自分自身の細部にわたる性格や病気の分析の部分だけで、彼の1人の行動はほとんど描かれていない。小箱からベレニスの歯が出てきて、歯を抜く器具を手に持っているのがわかるのも、召使が発見したからであり、彼がいかに病的に、抑えきれずにそういった行動にでてしまったかが分かる。

それゆえ、一部のストーリーが抜けているのは彼が故意に隠ぺいしようとしたのではなく、彼の記憶自体に取り込まれていなかったのだと、私は考える。

何か恐ろしいことをした、という感覚はあっても彼が罪悪感などを描写していないのは、
” In the strange anomaly of my existence, feelings, with me, had never been of the heart, and my passions always were of the mind.”と書かれているとおり、彼は感情で行動していないからなのだと思った。

 この作品では、ベレニスの心理描写やセリフは全く無く、エグスの自分の分析や説明が多い。エグスからの視点でしかベレニスは描かれておらず、この点においては偏執症というエグスの性質とは別に、当時の男性主観という文学の特徴が表れているのだと感じた。「楕円形の肖像」でもそうだったように、当時の男性は、女性を何らかの「対象」としてしか見ていなかったのではないかとも思えた。

「戦争がなければ平和もない」という言葉を聞いたことがある。私は、ポーもそういった考えを持っていたのではないかと思った。冒頭の文章に” in fact, out of Joy is sorrow born.”とあるように、彼は、幸福という概念は、悲しみや苦痛があってこそ存在すると考えていて、それが光と影の対比をする理由の1つなのかもしれない。この作品における光は「ベレニスの美しさ」であり、影は「無常ではないこと不可解なことへの恐怖」なのだと思う。

はじめこの作品を読んだ時は、エグスがベレニスを愛するが故に、墓を掘り起こして彼女の証を手に入れたか、歯そのものに理由なく執着してしまったのだと思ったが、読み返していくうちに、エグスは、歯に魅力を感じたから抜き去ったのではなく、美しさの裏にある恐怖から逃れるために、つまりベレニスの歯を取り、ベレニスを理解できるものにし、自分を保つために行動を起こしたのだと私は考えるようになった。

そして、エグスにとってそれは、残虐な行為ではなく、生きるすべであったのかもしれないとも思った。

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