去年レポートに書いたのをちょっといじってみた。
昭和3年生まれの私の祖母は、青春時代を戦時中の東京で過ごした。
私は小さい頃、よく祖母から当時の話を聞かされていた。
それはまるで何かの映画のような話で、平和な世で生きている私にとって現実味のない話だった。
当時女学生だった祖母は、東京の武器を作る軍需工場へ動員された。
その地域はそういった工場が多く、空襲の対象になった。
祖母がいつものようにそこで働いていると、サイレンが鳴り、
祖母のような女学生は地面を掘って作った簡易な防空壕へ逃げ込み、死を免れた。
しかし、工場の幹部たちは鉄でできた頑丈な防空壕に避難し、
皮肉なことに、爆撃のせいで壕の中が鉄の鍋と化し、皆焼け死んでしまったという。
何人かの同僚は、熱さに耐えきれず、川に飛び込む者もいたらしい。そんな恐ろしい情景を、祖母はちょうど私と同じぐらいの年で目にした。
沢山の死を目撃しながら、生き残った祖母の心境は、幼い私には想像もできなかった。
また、私の祖父は昭和23年までかつてのソ連、シベリアの地に抑留されており、復員し日本へ戻った日は、彼の戦死した妹の葬式の日だったという。
私が生まれた前に祖父はもう亡くなっていたので、この話を父から聞いた時、こんなに身近な人に起こった出来事とは信じられなかった。そしてこれは決して遠い過去の話ではないことに恐怖を感じ、戦争は悲しみしか生まない、二度とあってはいけないことなのだと強く思った。
第二次世界大戦後60年以上が経過した今、戦争被験者の数は減り、戦争を知らない大人が政治家になっている。もちろん私も本当の戦争を知らない。9.11のテロやイラクへの空爆をテレビの画面を通して見たことは、まだ記憶に新しいが、果たして若者たちに、そのような惨劇が現実にこの日本でも過去に起こったことだと、認識させただろうか。
戦前のメディアに溢れていたマインドコントロールの恐ろしさや、殺人をも正義に変え、人間の心を支配してしまう戦争の狂気は計り知れないものだった。
もし今の社会にそういった流れが再びやってきたら、無知な私たちは情報を分別して自分の意思を主張することができるのだろうか。
無関心や、知識の無さ、受動的な国民こそが、戦争への近道を生み出しているのだと思う。