ライヴで聴くことが出来ず、セミファイナルの結果を知って書いていますこと、ご理解下さい。
ケリー・タリム
バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112
1:18分03秒 2:10分47秒 3:13分01秒
ブラームス 交響曲第1番ハ短調 op.64 から 第2楽章の指定箇所
3分20秒
R.シュトラウス 交響詩「ツァラストラはこう語った」から 指定箇所
3分58秒
非常に丁寧なのだが、この日の演奏で褒められるのは、それぐらい。良く言えば「マイペース」なのだが、全体的に守りの姿勢で、オケとのコミュニケーションが取れておらず(と言うか、取ろうと意識していない)、この曲で欲しいえぐるような感覚や切迫感も聴こえて来ない。ラップタイムを他の出場者と比較してみても、それが裏付けられるのではないか。予選でも気になったボウイングも相変わらずだし、全体を通して平板。多くの優れた奏者達が落選して行った中、この人がなぜ予選を通過出来、このラウンドに進んで来れたのかが、個人的には全くわからない。
アンドレア・オビソ
プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 op.19
1:9分04秒 2:3分38秒 3:7分55秒
ブラームス 交響曲第1番ハ短調 op.64 から 第2楽章の指定箇所
3分07秒
R.シュトラウス 交響詩「ツァラストラはこう語った」から 指定箇所
3分44秒
人間的な魅力に溢れ、個性的な音楽を作って行ける人。積極的にオケをリードして、オケメンバーと良好なコミュニケーションを取って行こうと言う姿は非常に立派なのだが、この人の演奏に関しては、個人的にはあまり好みでは無い。全体的に積極的過ぎるのか、弾く音楽に落ち着きがなく、スマートさを感じず、幾分暑苦しい。プロコフィエフのこの協奏曲を弾く場合、時には淡々と音楽を紡いで行く瞬間があってもよいのではないだろうか。本選で弾かれる予定だったシベリウスの協奏曲を弾くのであれば、こういう行き方でも良いのだろうが、結果として、選曲を間違えてしまったのでは、と言う感じにしか映らない。
友滝 真由
プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調 op.19
1:9分17秒 2:3分52秒 3:8分11秒
ブラームス 交響曲第1番ハ短調 op.64 から 第2楽章の指定箇所
3分13秒
R.シュトラウス 交響詩「ツァラストラはこう語った」から 指定箇所
3分59秒
予選の感じから、プロコフィエフの協奏曲と言う選曲が、果たしてこの人の個性に合うのだろうか、と心配していたものの、こういう演奏も出来るんだと言う、彼女の幅広い音楽性を垣間見られた、そんなこのラウンド。まず、曲をとても理解していることがわかる演奏。常にヒューマンでありながら、真摯な取り組み、節度、落ち着きが感じられる。全体的に音に「厚さ」を感じさせるものの、軽く行きたいところはそれなりに弾くテクニックも持ち合わせている。アーティキュレーションの付け方・処理もさりげなく出来ているし、リズム感も非常に良い。第3楽章は、音楽的に彼女には最も合わないように思っていたが、言い方は悪いが、無難に通り過ぎて行った感があり、ここでは少し単調に感じ、音色への気遣いや弾き方そのものに、もう一工夫欲しいようにも思った。
イリアス・ダヴィッド・モンカド
バルトーク ヴァイオリン協奏曲第2番 Sz.112
1:16分15秒 2:9分38秒 3:11分48秒
ブラームス 交響曲第1番ハ短調 op.64 から 第2楽章の指定箇所
3分13秒
R.シュトラウス 交響詩「ツァラストラはこう語った」から 指定箇所
3分50秒
弓から伝わる音圧が強く、好みが大きく分かれるはず。張り・艶がある音色はかなり魅力的。音感やセンスも良く、とても個性が感じられるが、一方で、常に同じ行き方のため、暑苦しく感じたりもするし、場所場所でのムラもある。バルトーク、全体的なラップタイムは平均的な感じだが、部分部分での出入りが大きい。アイディアは満載で、それを楽々とこなして行っている印象だが、かなり大きく崩すなど自由に弾く傾向のため、音楽的なバランスと言うか、秩序が取れていない場面も散見されるし、良い面とそうでない面が交互に出現したり、全体的に前のめりのため、どうしても落ち着きがない音楽に聴こえて来てしまう。
あくまでも個人的な評価だが、演奏順に
岸本 萌乃加さん、コー・ドンフィさん、シャノン・リーさん、友滝 真由さんの4名のファイナル進出を期待し、次いで、北田 千尋さん、石原 悠企さん、荒井 里桜さんの3名に可能性があるように思う。日本人優勢と思うのだが・・・。
結果はもう発表になっているが、ファイナル進出を期待していた岸本 萌乃加さんは、残念ながら選外となってしまった。あれだけ優れたストラヴィンスキーを弾く人なのに・・・。他の3名の方は、見事ファイナルへ。石原 悠企さんは、選曲が・・・勿体ない。言い方は良く無いが、日本人が多すぎるのもと言うことで、国籍と「個性」とで、バランスを取ったのではと言う印象も、ないことはない。
「コンマス試験」は、セミファイナルの日が進むにつれ、「セレモニー」としか感じられないイベントとなってしまったような印象。「コンマス賞」を差し上げたかったアンドレア・オビソさんも、次のラウンドに進むことが出来ず、試みは面白かったものの、「意味」があったかと言えば、決してそのようには思えない。次回同様な試みを行うにしても、やり方を大きく変えない限り(それを考えるのは、主催者です)、時間と労力の無駄にしかならない代物になってしまうだろう。