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拙い記事ではありますが、たくさんの方のアクセスや、非公開を前提でのコメントを頂戴しています。ありがとうございます。
この記事内で、事実関係が間違っているのであれば、訂正させては頂きますが、私の個人的な感想や意見につきましては、その時点での一市民・一音楽愛好家の「思い」ですので、あくまでも個人的なものとして、尊重して頂きたく存じます。「そういう思いの人もいる」、と言うことを知って頂きたかった訳です。
「フルートのまち神戸」と言うタイトルからは逸れますが、このコンクールそのものの大きな問題点のひとつとして、採点結果の詳細が非公開となっていることです。予選の点数が本選に持ち越されているのか否か、持ち越されているのであれば、その比率はどのくらいなのか、そこらあたりも不明確です。いくつもの「基準」を満たしている「国際コンクール」です。そこらへんの透明性・公平性が担保されていないのであれば、国際コンクールと言う名前を冠して開催することが、果たしてどうなのかなと、まず素朴に思っています。
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まず、このシンポジウムの後援で、コンクール開催者でもある神戸市の担当部署の方が出席しないと言うのは、どう言うことなんでしょう。声をかけておられたのか・・・。
このような催しでは、得てして、それぞれの立場での「自慢大会」の様相を呈したり、お互いを誉めあったりと言うのが通例で、今回もそれに近い感じがありました。一般参加者からの質問・意見等も、「自慢しい」が出現し、時間が限られていたこともあり、いわゆる「正論」を述べられた方がおひとりしかおられなかったのも、一神戸市民として寂しい思いで聞いていました。
昨年行われた「第9回神戸国際フルートコンクール」が「成功」したと言う前提でのシンポジウムだったのも、そう言った傾向に拍車をかけたような印象で、あまり中身のあるシンポジウムではありませんでした。「ガラ・コンサート」「ガラ・パーティー」開催の自慢も盛んにされていましたが、あの中身の無さ・つまらなさは、寄付のつもりと思って参加したとしても、二度と行こうとは思いません。
こういうシンポジウムを開くのですから、パネリストの基調講演のようなものは時間を決め、この日も多くつめかけた一般参加者とのやりとりを積極的に行って頂かないと、「シャンシャン大会」のようなものになりやすいですし、最も重要なのは、このコンクールに対する市の方針の早急な開示と、一般の市民がどのようにこのコンクールに関わっていくべきなのかであり、、そこが今後のこのコンクールに於いては最も大事な部分なはず。そこの議論がすっぽり欠けていました。
今更「なぜ神戸がフルートの街なのか」なんて、ここで時間をかけて語り直すのは、本当に時間の無駄。そもそも、市の担当者の「思いつき」ではじまったこのコンクール(それはそれで構いませんが)、開催1回あたり市税を5,000万円もつぎ込んでおいて、うまく回らなくなって来たから補助を打ち切り開催しません、なんて冗談じゃない。音楽を愛する市民をもっと動かすような活動や、告知活動・努力も中途半端にしかせず、(私のような地元の音楽愛好家でさえ、第8回の実施をコンクール開催中に知ったくらい)、困った時にはバタバタして、こういう大事なシンポジウムには市の担当者が顔を出すこともないとは、あまりにも無責任極まりない。
日本の地方都市で開催されている国際音楽コンクールも数多いですが、例えば、来月開催される高松では、このようなポスターが制作され、街中に貼り巡らされています。神戸ではそのような光景は全く見られません。そもそもコンテスタントの顔写真が並べられたポスターなんて作られてないですし。こんなことだけでも、コンテスタントに対し親近感が湧きますし、足を止めてポスターを見入る人も多いでしょう。それだけでも認知は高まりますし、興味は湧きます。私でさえ50枚ぐらいは貼ってもらえる場所はあるんですけどね。
本当に「市民参加型」とするのであれば、改善して行って欲しい項目は山ほどありますし、個人的にも案はいくつもあります。


