2014/5/28 ミハイル・プレトニョフ ピアノ・リサイタル | 音楽と競馬、思ったことを書いて行きます




5/29

昨日のリサイタルから一日経ちましたが、全体的な雰囲気は良く覚えているんですが、それぞれの曲についてはあまり詳しく覚えていないんです。私自身、それ程思い入れのある曲でないと言うこともあるんですが。

前半のシューベルトの2曲のソナタですが、いままであまり興味を持たなかったこの2曲、それなりに印象深かったです。幾分素っ気なくつっけんどんな感じで弾くピアノですが、実はとてもペダリングに気を遣い、ご自分の気に入ったピアノを使って、深い響きを作り出すように見えました。曲(譜面上の音)が終わり、ペダルを踏み込んで響き(=何とも言えない深い和音(倍音)の余韻)が残り、そしてペダルを離してしばらくの瞬間と言うのが昨日の会場ではとても重要だったように思いますが、そこを理解出来ない聴衆が、ペダルを離してすぐに拍手を始めてしまったのが、この2曲のシューベルトではとても残念な出来事でした。この場所でないと体験出来ないことなのに、その人の都合で奪われてしまう・・・、勿体ないことです。ご本人は特に強く思っておられないのかも知れませんが、彼の弾くピアノは、その曲中そのものよりも、上で書いた瞬間が最も聴きどころなのではないか、とさえ感じた2曲のシューベルトでした。特に13番のソナタの充実度は感じられましたが、4番のソナタでも使われた素材が20番のソナタに転用されたと言う経緯からしても、出来ればさらに構造的・音楽的に充実している20番のソナタ1曲だけ聴かせて頂いても良かったかなとも思います。

幾分籠ったようなおとなしい音が特徴のカワイのピアノですが、バッハでその特徴が最も良く聴き取れたように思います。対旋律がはっきり聴き取れるような全声部をくっきり描き出したスタイルが特に印象的なバッハだったでしょうか。スクリャービンの曲はあまり良く知らないんですが、曲の持つロマンティシズムを強調するよりも、それぞれの曲が持つ構造・特徴・あるいは「流れ」のようなものを表出するかのような、かなりあっさりとしたスタイルのスクリャービンだったのではないでしょうか。後半の2曲には、シューベルトで感じたような「雰囲気」は感じず、個人的にはあまり印象には残りませんでした。


終演後、楽屋口から車に乗り込む様子を眺めていましたが、脊椎、あるいは腰の状態があまり良くないのではないでしょうか。ピアノを弾いていない時の様子は、とても57歳の芸術家とは思えない「老成」した雰囲気で、今後ピアノを弾く機会はそう多くないのではと予感しました。ピアノを弾くのはもうそろそろやめよう・・・、そんな雰囲気さえ漂わせていましたし。サインをねだるファン達にも「手が痛いので、サインは出来ない」と言うことでしたし、そろそろピアニストとしては、芸術家としての終わりが近づいているのかも知れませんね。



5/28

帰りが非常に遅くなってしまいましたので、詳しい感想などは明日書かせて頂きます。昨日公演があった東京から、「SHIGERU KAWAI」のピアノをどうやって運んで来たのかを会場のスタッフにお聞きしましたら、「東京にあるピアノとは別のもので、こちらのピアノは浜松から直接運んで来たんですよ」とのお答え。プレトニョフさんの気に入ったピアノが1台(個体)だと思っていたので、すっかり勘違いしてしまっていました。


ロビーのモニターの画像から。こういう椅子で弾かれるんですね。