構想は1938年5月頃に海軍省で発案されたが、チャーチル卿はこの構想に消極的であった。
これは、陸上配備型の「スピットファイア」の増産を優先事項と考えていたためであった。
海軍省では『艦隊航空隊はハリケーンの海軍型シーハリケーンを使っており、スピットファイアも艦隊運用が可能』と試算していたのだ。
その背景には、艦隊航空隊は旧式の航空機を更新する必要があったことが挙げられる。
1941年後半に「シーファイア mk-Ⅰb」の試験運用を行った結果、性能は良好と判断された。
1942年より「シーファイア mk-Ⅲ」が発注され、艦隊航空隊での運用が本格化した。
陸上配備型のスピットファイアと異なる点は、折り畳み翼、避雷器フックを備え、主脚などの強度を高めた点であった。
まず、50機が改良され試験運用が始まる。続いて胴体補強された118機が配備された。このタイプは、シーファイア mk-Ⅰ b、改良発展型はシーファイア F mk-Ⅱcと呼ばれた。
これらの機体には、HF無線機、IFF装置、タイプ72ホーミング・ビーコン装置が装備された。
固定武装は、スピットファイアmk-Ⅴと同じで、イスパノ 20mm機関砲(ドラムマガジン式)が2門、ブローニング 7.7mm機銃が4門。
胴体下にはスリッパー燃料タンク(30ガロン、約136L)を搭載スペースが設けられた。
1942年11月のトーチ作戦(連合軍による北アフリカ上陸)への実戦参加を皮切りに、シチリア侵攻(1943年7月)、イタリア侵攻(1943年9月)に航空支援に従事した。
作戦後半には、着陸事故が原因で機動部隊の約半数のシーファイアが作戦不能に陥っている。
また、1944年6月からのオーバーロード作戦(ノルマンディー上陸)、ドラグーン作戦(南フランスにおける地上部隊の航空支援)にも従事した。
「シーファイア」は、太平洋艦隊(HMSインディファティガブル。第887、894飛行隊)に配備されると最大限の性能を引き出した。旧日本航空部隊による非人道的な攻撃手段の一つである『カミカゼ=特攻』に有効な迎撃機として活躍した。
1945年8月15日に8機撃墜、1機損失する記録も残っている。
その後「シーファイア」は『マーリン』エンジンを『グリフォン』エンジンに換装し、1950年に勃発した朝鮮戦争に参加。対地攻撃、航空哨戒に従事したが、ジェット機の台頭に逆らえず退役していった。
スペック
全長:9.2m
全幅:11.2m
空虚重量:2,412kg
全備重量:3,280kg
エンジン:ロールスロイス マーリン55M 水冷v-12(1,585馬力)
最高速度:578km/h
航続距離:748km
武装:イスパノ 20mm砲×2、ブローニング 7.7mm機銃×4、250lb爆弾×2、500lb爆弾×1