筆者は千歳烏山駅周辺に住んでいたことから、京王線が登場するジブリ映画「耳をすませば」を大人になってもたまに見ています。
モデルとなったのは、多摩ニュータウンの北端に位置する聖蹟桜ケ丘周辺。
主人公は中学3年の受験生である月島雫。
父親は図書館司書。大学生の姉は、母親を気遣い、雫と協力して炊事、洗濯を分担するなかで雫は、やや反抗期のようで姉の小言にうんざりする描写が多々見られます。

京王デパートが随所に登場し(数秒もないのでよく見ていないとわからない)、電車にも京王の文字が見えます。また、ホームの案内板には、「府中、明大前、新宿、笹塚」の文字もきちんと入ってるのが確認できます。

都心からも利便性がいい、多摩郊外の市営団地に住んでおり、炊飯器やポット、冷蔵庫、食器棚、洗濯機、ベランダにいたる細かい描写により生活環境が垣間見れます。

雫の母親「牛乳パック1つでレジ袋?」
雫「くれるんだもん」
雫の母親「いらないと言えばいいじゃない」
↑リアルタイムで見ていたときは、まったく考えもしなかったですが、環境問題をさりげなくいれてますね。

環境問題とは異なりますが、後にも先にもジブリ映画では、このワンシーンにしか出てこない単語もあります。
 
雫と雫の姉が父親が弁当を忘れて図書館に出勤して、雫に頼むシーン。
雫が「いやだ」と答えると
姉がこう続けます。
「雫が皿を洗って、洗濯干して、掃除機かけて、生協に行って・・・」

なんて言った?

巻き戻し、再生。
「生協に・・」

確かに「生協」と言ってます。「生協」という単語がでてくるのは、数あるジブリ映画では、このシーンだけ、このタイトルだけです。
数秒しかでてこないので、気づかなくて聞き逃します。

生協は、無添加食品を扱う食品スーパーで、現在は宅配サービスもありますが、映画が初出した90年代は、まだありませんでした。

「コクリコ坂」が親世代なら、「耳をすませば」はその子供世代が過ごした時代。

親世代は東京タワーが建設されたのを見ていますが、その子供世代はスカイツリーが建設されたのを見ています。東京タワーとは建設方法は異なりますが、親世代、子供世代で親世代が過ごした時代を知るいい機会になりました。

細かい描写は生活雑貨にとどまりません。
雫の姉と、母親が話すシーンでは、ワープロでレポートを作成していますね。ワープロは、知らない人多そうです。

また、机にはビニルの机マットが敷かれ、団地の狭い間取りを有効活用するように食器棚があり、団地の環境をリアルに描写されています。ビニルの机マットは、熱い鍋やコップ、やかんを机にじか置き(直接置くこと)した際に痕が残るのを防ぐために敷いていました。

上にも同じシーンを上げていますが、もう一度見てみましょう。
雫が、「嫌なやつ!」と天沢聖司との会話を思いだし、麦茶を飲むシーン。冷蔵庫は上が冷凍庫、下が冷蔵庫。チルドなんて機能はありません。風呂場には掃除後と思われるゴム手袋、雑巾が干してあります。団地では干す場所も限られるので、このようにしているのが当たり前でした。気になるのは、壁に備わっている灯りを消したりつけたりするスイッチ。雫の腰と同じ高さでちょっと低いようです。

雫と姉の共同部屋。机の電気スタンドが時代を感じさせますね。いまでは、辞書をひくことをあまりしなくなりましたが、この時代も辞書をひいては英単語を覚え、漢字の意味を調べていたので、辞書を置くだけで机がぐちゃぐちゃになっていました。

いまでは、図書カードもなくなり、「この時代がよかったなあ」と思い返します。

生活環境はこれだけでなく、友人の原田夕子(そばかすが特徴)の家を訪問した描写は、雫の家庭環境と対比されています。
 
原田家は、洋風な家で室内犬を飼っていて、雫が訪問した日は、父親は野球をテレビでみていました。
夕子は1人っ子で母親と仲がよく、父親は二人と距離があるような描写です。思春期の女の子と父親の微妙な距離感や構図が描写されていました。

雫の団地と異なり、原田家は一軒家で、床はフローリングになっています。また、夕子の部屋は勉強机の他に座卓が置かれ、二段ベッドではありません。さらに隅には、籐(とう)で編んだカゴがあります。籐(とう)は当時流行した家具で、籐(とう)のタンスや三段カゴなど種類は数多くありました。

中学生の恋心も焦点があてられており、女子の恥ずかしい気持ちの描写も青春時代を思い出させます。

携帯、メールもなく固定電話で話すしかなかった時代。学校で男女が仲良くすると周りが冷やかすのはこの時代ならでは。

告白は、体育館の裏や人目を気にしなくていい場所に限られました。固定電話には、父親がでる可能性もあり、男子は父親がでると、「○○ちゃん(さん)いますか」とは言えず、あわてて電話を切った経験は誰もが経験しました。

これ以外にも、エンディングを含め、画面をよく観察していると、クロネコヤマトの宅配便、自動車のライトの照りつけのリアルな描写など、多くのことに気がつきます。

車のライトの照りつけ、街路灯の照りつけはセル画とは思えないほど鮮明です。

「海が聞こえる」、「おもいでぽろぽろ」にも風景など懐かしく思える描写が多々でてきますが、微妙に親世代が入っており、鮮明に思い出せない部分もあり、「耳をすませば」の時代がちょうど時期に重なっていたので、鮮明に覚えてますね。

親世代は「コクリコ坂」をみたら、2人乗り自転車、お釜でご飯を炊く、マッチで火をつける、赤い背もたれの椅子、肉の量り売りなど、映画が終わっても、話はつきないかもしれません。

しかし、これも1つの文化。別の視点で見ると、懐かしくなってくるかもしれないですね。

ゼントラーディの巨人がみたら、「ヤック、デカルチャー」というかもしれません。