◆空軍機の墜落事件
1948年1月7日、アメリカのケンタッキー州北部に位置するルイビル近郊でマンデル大尉乗機の空軍機が墜落する事件が発生した。
この日は朝から「白色の未確認飛行物体を見た」との目撃情報が州警察に多数よせられていた。
◆空軍機の追跡
●午後2時40分
マンテル大尉は燃料不足の1機を離脱させると、残りの2機を従えて未確認飛行物体を目視確認した後上昇を始めた。
マンテル大尉は高度15,000ftで「物体は正面上方に位置し、本機の半分程度の速度で移動中」と報告している。
●午後3時15分
さらなる管制塔からの問いかけに対して「金属製のように見える。まるで金属でできているかのように太陽の光を反射している。それにとてつもなく大きい」と回答した。
高度22,000ftに達し、酸素供給が追いつかなくなり離脱する僚機を横にしてもなお、マンテル大尉は単機で上昇を続けた。
そして「10分後に高度25,000ftに達する予定」の連絡後、完全に途切れてしまった。
◆墜落した機体の捜索
残燃料から墜落も視野にいれて捜索が始まり、数時間後に機体の残骸と遺体が発見された。マンテル大尉の腕時計は午後3時18分をさしてとまっていた。
◆マスコミの反応
この事件はマスコミに大きく取り上げられた。
空軍は「金星を未確認飛行物体と誤認して高高度に飛行し、酸欠状態に陥って意識を失い墜落したものと考えられる」と発表したが、その1年後「海軍がテスト飛行させていたスカイフック気球を誤認した」と見解を変えた。
スカイフック気球は、海軍で極秘扱いのスカイフック計画の一環として研究が進められていたため、空軍側はまったく把握できなかったのが要因だった。
また、当時はU-2偵察機による偵察行動が確立できておらず、無人気球による偵察行動が一般的だったのも挙げられる。
◆現在の見解
現在の見解では、追跡した機体の酸素量が十分な量ではなかったとされている。これは、当初の目的である訓練飛行が酸素供給が必要な高々度での飛行ではなく、低高度での実施だったことを示唆している。
つまり、当時極秘扱いだった観測気球スカイフックを未確認飛行物体として追跡中、酸素不足により失神。
その後、機体は左旋回をゆっくり始め、やがてキリモミへ変わり、空中分解したとするものだ。
残骸の調査では、減速を試みた形跡があるため、空中分解寸前に意識を取り戻していたと考えられている。
◆スカイフック気球はどこから来たのか
7日早朝、ミネソタ州リプリー基地から上げられたスカイフック気球は、ケンタッキー州上空へとさしかかり、事件後の午後4時にも州内で確認されている。
◆参考文献
『Evidence for heavy nuclei in the primary cosmic radiation. 1948』
『United States Centennial of Flight』




