【祝われることが多い】
こんばんは けにーです。
祝福を頂きまして、
ganzoのアイテムを頂きました!
大親友です。
ありがとうございます。
【むかしばなし】
今となっては臆することは
大してないんですけど
子どもの頃はカラオケに行くのが
凄く嫌で、それはそれは嫌で、
でも婆ちゃんは歌うのが好きで
よく1人で行ったりしてたんです。
嫌いと好きで対峙する2人ですが
僕は婆ちゃんと何度か
カラオケに行くことになるんです。
行く数時間前の僕は
慌てふためいていて、
何の曲を歌おうか家のCDを
漁ってはプレーヤーで聴いて
歌えそうか歌えないかを
瞬時に判断してました。
心臓の鼓動は早くなって
可能なら行きたくなかったし
なんなら二度と誘うなとも思いました。
でも行くと言ってしまったし
断って気を害させるほどの勇気は
僕には無かったんです。
それは今もそうだと思います。
断る勇気が僕には足らない。
嫌で嫌で仕方なかったカラオケ。
音痴な姿を晒したくないと思う
変なプライドがそうさせたんでしょう。
子どもの頃は変にプライドが高くて
下手な姿を晒すのは恥で不覚で
人生の終わりとも思ってました。
身を晒すなら人に見せて問題ない姿を
見せたかったし一般的な ''良い" 姿を
お披露目したかった。
なんて無駄な自己防衛なんでしょう。
婆ちゃんは僕が高3の時に
亡くなってしまって、
嫌で嫌で仕方なかったカラオケが
後悔に変わったんです。
もっと一緒に行っておけばと。
それは後にもっと肥大して、
ある意味でカラオケに
行きたくなくなる程の憂鬱に
なるのでした。
高校受験から二度目の受験。大学。
センター試験が終わり、
確か初めてのひとカラ。
開放感に身を任せて
歌ってた気がします(笑)
終わってふと過ぎるのは婆ちゃん。
カラオケ好きだったなぁって。
同じ部屋にいたのかなぁって。
今でも時々思います。
めでたく大学生になり
カラオケに行く頻度が増え、
一時期は授業をサボってまで
行ってたこともありました。
親には内緒です。
一人でカラオケに行くたびに
婆ちゃんが過ぎって
後悔と憂鬱が身に宿って燃えるんです。
それを歌でかき消しての繰り返し。
大学2年の時、
僕は一つの自身を救う方法を
閃きました。僕がカラオケに
行くことは婆ちゃんへの弔いだと。
『あの頃は全然一緒に行けなくて
ゴメンね。大嫌いだったんだ。
でも今は好きで毎週行ってるよ。
昔の婆ちゃんみたいに。』
そんな事を頭の片隅で思いつつ
僕は歌いました。
憂鬱で行きたくなくなるほどの
時期もありましたが、
行けば行くほど上達するのが楽しくて
やめられなかったんです。
気づけば歌うのが好きな人が
僕の周りにいて、なんだか不思議。
それはそうと婆ちゃん
歌下手だったな~(笑)
僕の方が絶対上手い。
そんな自信がカラオケへの欲を
助長するんです。
僕の人生は他人に左右されている。
趣味も進路も。
また明日(¯δ¯)/

