【悲しきかな】
こんばんは けにーです。
しばらく動画投稿とブログの
更新をしていませんでした。
する気になれなかったんです。
久々に書く今日の日記は
めちゃめちゃ悲しみに浸った
重たい日記となっております。
覚悟せい。
3月13日の朝に祖父が他界しました。
色々と助言をしてくれたり
僕のために色々と心配をしてくれた
良い祖父だったのでとても悲しいです。
とても悲しいの一言で済むような
心境ではないですがその一言に
色んな思いが詰まっています。
一人一人、近い人たちを失ってゆく。
古い者順でない時もありました。
抜け殻の姿を見つめていると、
楽しかったことや、
どこかへ一緒に行った記憶が蘇ります。
僕がまだ小さい頃の記憶でさえ。
そして あなたの人生は
楽しいものでしたか?と
心の中で問うのです。
返す言葉などございません。
死人に口なしなのですから。
一番の悔やみは、
祖父に今年一度も会えなかったこと。
ちょうどこの日に、
今後の道も少し明確になったんで
会いに行こうと朝電話をかける
つもりでいたらこの現実です。
爺ちゃんゴメンよ。
歯も生え、眉や髪の毛もしっかりあって
でも二度と動かないそれは、
なんとも明確に表現しきれない
『死体』としか表すことができないほど
空虚な心情を孕ませる最期を
突きつけてくるのでした。
手を握っても、顔に手を当てても、
冷たい。
呼吸をしていない。
頭を撫でてもまるで人形の様に
動かない。
完全に生を感じない。
生きていない。
儚く、尊い。
内側からこみ上げる悲しさと悔しさが
全身を巡って目から溢れてくる。
昨日通夜をして、
今日 告別式を終えましたが
僕の心にはまだ祖父の動いている姿が
残像として残っています。
いつかは薄れてしまうであろうものを
いつまで大切に留めていられるだろうか。
悲しい。
滞りなく事務的に進む式が
憎らしく思うし優しさをも感じる。
それがある意味救いなのかもしれない。
こんなにも早く身内の死を
また経験するとは予想しなかった。
和尚さんの説法がまた心に染みて
いつ身体が不自由になるか分からない
毎日を何気なく日常にしている日々。
明日も右腕右足、左腕左足、
五体満足に動きますようにと
願わなくとも明日も身体は動くと
信じている。次の日の朝突然
目が開かなくなる人が
何人もいる朝なのに僕達はそれを
当たり前のように過ごしている。
奇跡の連続なんだなと実感しました。
人の生 儚きこと陽炎の如し。
過ぎ行く生 まさに稲妻の如し。
死というものは決まって悲しい。
他人にこの事実を伝える時、
祖父が死んだと素直に伝えるべきなのか
はたまた病気によりキルされました と
ポップに伝えるべきなのか、
全く検討がつきません。
言わないのが得策でしょうか。
僕の心の穴は近しい存在を
失うことで空くようです。
まるで酸で溶けていくように
じわりじわりと、
現実を見つめる毎に風穴が空いてゆく。
穴の大きさはどうであれ、
それはみんな同じなのかな。
この悲しさは忘れちゃいけない。
3年前と同じように。
人の体は不思議なもので、
悲しい時こそ笑うように
できているのかも知れません。
人の死を前にしている中、
懐石料理を囲んで笑い話をする。
不思議に感じる。
どうも今日は食欲がない。
僕の回りの近い親戚は少なく、
数えると親を含めてあと7人。
7人しか、いない。
20年後もしくは30年後には、
僕は1人になっているかもしれません。
なんてこった。。。
僕もいずれ死にます。
今まで見てきた死と同じように。
抜け殻になってこの世のもので
なくなる日が来ます。絶対に。
だからそれまでは、
好きなものは素直に好きと
言える気持ちをずっと持ち続けて、
ありがとうを言える人であり続けたい。
悲しい内容の日記でしたけど、、、
読んでくれた人いるのかなf^_^;
日が空いて読者減ってそうだけど
読んでくれた方ありがとうございます。
また明日(^^)/
