日記ー1366日目ー | エブリデイ日記

エブリデイ日記

なるべく毎日日記を書いてます!

拙い日記ですがふらっと立ち寄る感じで、
読んでくだされば幸いです。


【エンドロール】


こんばんは けにーです。

昨日の夜中から宅飲みで
昼間に帰って少し寝て、
運動しようと思って
泳ぎに行って来ました。
久々に泳いだー(笑)
すんごい疲れた。

昨日の夜中に家を出るまで
ずーーーーーっとベッドで
飲まず食わずで過ごしてまして、
特に何もしてません!




そんなわけですf^_^;

一昨日はちょっと特別な日でした。

小学生の頃から机に座って
誰かの授業を聞いてはノートを取る。
そんな作業を大人になるまで
続けてきました。
テストもそうですね。
定期的に行われるテストもありました。
児童から生徒へ、そして学生へ。。。
長きに渡って学校という施設に通い
友達を増やし、様々な知識を身につけ、
自分の気の向くままに挑戦をして
今に至っています。
一昨日のテストが
人生最後になるであろう
学校のテストでした。
それと共に最後になるであろう
学校生活でした。
帰ったら気が抜けたのか
頭痛くてスっと寝ました。
点数悪くて留年になったら
来年度も学生だけど
とりあえずテスト終わったということで
新宿の光麺で友だちとラーメン。
{628E13FF-5893-4CE5-8C38-50D8ACFF1FF8}

そう言えば一昨日の空良かったです♪
{A2EDC07A-73F6-4C82-A6E4-9B72F8EBBDA7}

綺麗だったー✨




そんで今日はですね、
前にも書いた気がしますが
もう一度、僕の人生を
振り返ってみようと思います。
どこから話せばいいんだ(汗)
パッと浮かんだ小学生の頃からに
しようかな。。。今日は長いよ!


~小学生~
よく友達と遊んでた気がします。
外で逃走中したり家で
カードゲームしたり。
でも今も変わらず
小学生の頃から興味が無いものには
見向きもしなかったな。
親の半ば強制でサッカーはしてたけど
正直そんなに楽しくなかった。
小学生の後半は
ベンチの守護神だったし(笑)
友だち皆がやってた
ポケモンのゲームは現在にいたるまで
1度もプレイしたことがない。
全ては興味が無かったから。
また嫉妬心や劣等感をよく抱いていた
記憶がある。自分より上手い人は
当然いるが僕の周りには特に多かった。
僕がただ下手なだけだった話だが
なんだかそれが許せなくて
悔しい思いをし続けてた気がする。

そして僕は目立ちたがり屋だった。
学期の終わりにあるお楽しみ会では
よくみんなの前で当時有名だった
お笑い芸人のモノマネをしたり
友だちとコントをしてた記憶があります。
当時の記憶が今の僕に
関与していることは確かですね。


両親は共に運動神経がよく
母は特に自分の運動神経に
自信を持っていた。
僕がかけっこでビリをとった時
父は大したこと無いように
聞いていたが母親は私の子なのに
ビリをとったと
たいそうガッカリしていた。
ガッカリしているだけならまだしも
やってはいけないことを
してしまったくらいのテンションで
言ってきたので
親を悲しませる事への不甲斐なさと
全力で走ったのにそこには
微塵も触れてくれない寂しさで
布団の中で密かに泣いた。

親のしつけは少し厳しく、
門限を過ぎると閉め出されてしまう。
そんな記憶が何度かある。
勉強面でもよく説教をされたな。
僕は勉強が嫌いで勉強だけは
したくなかった。国語の読解は大嫌い。
算数の文章問題なんか見たくもない。
社会の勉強なんて
家でした記憶がほぼ無い。
そんな勉強嫌いな僕は当然成績も悪い。
悪いと言っても 「もう少し」が
2つか1つであとは「よい」や
「たいへんよい」だったが
親は「もう少し」を特に重視して
僕を叱った。「たいへんよい」を
もっと褒めて欲しかったが
親のしつけ上そういった口出しが
できない状況だった。
作文も苦手で、よく夕方まで
教室に残されてた。
そんなことまで親に言ったら
小言が増えると思って1度も
話したことはないが
そんな思い出もある。
とにかく母は僕がすることの
ほぼ全てに難癖をつけてくる
ウザったい姑のような存在でした。
僕はささくれていた。
母親に逆らえない腹立たしさ、
母親への憎しみと自分への憎しみ、
嫌でしょうがない。
首を吊って死ぬか轢かれて死ぬか
学校の窓から飛び降りて死ぬか
そんなことを考えてた時期もあった。
母への嫌な思い出を挙げれば
レポート用紙2、3枚は書けそうだが
母の良い所もたくさんある。
まず母のおかげで大きな風邪をひかず
無遅刻無欠席で小学校生活を
送れたのは事実。すごい事だ。
栄養学と医学の知識を独学で持ち
博識に富んだ人でママ友間でも
有名だった。僕の友だちとも仲良く、
割りと人気だった。
母の計らいで僕に人間関係を
学ばせようと、毎週決まった曜日に
友だちを呼んで料理したりゲームしたり
外で逃走中をしたり、遊び疲れて
僕の家に戻ってきてはドラゴンボールを
見たりして、それなりに充実した
日々を送れました。

小学生の頃は母が髪を切ってくれてて
今で言うマッシュヘアだったんだけど
当時マッシュなんて言葉はなくて、
よく女の子からオカッパウーマンって
言われてたな(笑) あの時は恥ずかった。
委員会もやってて、給食の時間に
テレビが見れてラジオDJを
やってる気分に浸れる感覚が
好きだったんで何度か放送委員を
やってました。全校朝会の時に
当番になったら校庭に出て
校長の話を立って聞かず
放送室から聞けたんで
なんだか得した気分でした。
軽く3回は放送委員なってたな(笑)

そう言えば科学館や博物館も
よく連れてってもらった気がする。
科学未来館みたいな名前の所に
3回は行った気がする。
小さい頃から科学の実験みたいに
変化する現象や、見た目は同じなのに
重さが全く違うみたいな物に
触れたり見るのが好きでした。

またいじめられたりされた話とか
作文が苦手でよく夕方まで
残された話とか




も~~~ホントに小学生時代は
全っっっっ然 勉強しなかった(笑)
しなかった分 家とか外で遊んだり
ゲームしてました☆





~中学生~
学ランに着せられてた
中学生に上がりたての頃、
僕はなんの部活に入るか
悩んでいました。
特に何も無さそうだったら
サッカー部かなぁ。。。
吹奏楽部とか気になるなぁ。
柔道部は痛いからやだなぁ。

そこに 1人の男が話しかけてきた。

それはサッカーをやってた小学生時代に
たまたま僕の住んでる地区の
サッカーのイベントで一緒になって
話したことのある人でした。

僕は正直覚えてなかったけど
あっちは覚えてくれてたらしくて
めっちゃ気さくに話しかけてくれた。
そいつの口からは水泳部に入ろう
という誘いでした。
水泳部・・・寒いじゃん・・・。
小学生の頃の水泳の授業は
好きだったけど泳ぐことは苦手で
平泳ぎもままならないほどでした。
そんな僕に水泳をやれと…
正直嫌でしたがそいつの強引な
誘いに断りきれず体験入部に
参加することに。

顧問は社会の先生であり
当時学年主任だった男の人で
その人が後に僕の恩師になります。

僕が入学をした年から設立した
できたてほやほやの水泳部。
僕ら体験入部者は5月の
まだ少し肌寒い時期に屋上のプールで
泳がされました。水温は18℃
クソ冷たいよ。
なんでこんな冷たいプールで
泳がされなきゃいけないんだよ。
地獄かよここは!!
僕の胸に焼き付いた『辞めてやる』
という言葉は消えることなく、
それでも毎日部活に参加するのでした。
どうしてあの時に辞めなかったのか、
顧問の口が上手かったのもそうだけど
周りが辞めずらい空気を
出していたのもそうだと思います。
結局入部して、僕の中学校生活は
水泳に全て持ってかれました(笑)

初期メンバーは
男女合わせて数十人。
男も女も一応試合でリレーが組める
状態でした。
3年生は1人で、部長になって
僕らを引っ張ってくれてて
カッコいいなと思ってました。

僕以外の人はみんな水泳の
スクールに通ってた人らしく
それなりに泳げてて
僕だけおいてけぼりの状態で、
完全にスタートラインが周りと違う中
よく頑張ったと自分を褒めたい(笑)
正直心は折れていました。
でもついて行くしかないんです。
遅れてたってついて行くしかない。
それしか選択肢は無いと思ってました。
それに辞める時はいつでも
辞められるし簡単なことだと
思っていたんで泣き叫ぶほど
辞めたくなったら辞めようと
思っていました。その気持ちが
3年間続けられた
秘訣のように思えます。

水泳を始めた当初は誰よりも
遅かった僕ですが、
徐々にタイムが縮んで
2年の夏にはブロック大会で
出た種目全部大会新記録を
出すほどに成長しました。
あの頃は輝いていた(´-ω-)
水泳を始めた当初は誰よりも遅くて
悔しかったけど引退する3年生の頃は
部の中で2番目に
速い選手になれました。
こんなに著しい成長を
自分の中で感じれたのは
生まれて初めてで、
きっと一生の思い出です。
顧問は授業中は面白かったけど
部活になると厳しくて、
正直怖かったけど、
部活後のミーティングで時々
名言を言ってて、それが僕の心を
動かしてより速くなろうと努力する
力を与えてくれました。
今でも覚えている名言は
『他人と同じ努力をしても
他人と同じ結果しか得られない』です。
相手より1歩も2歩も上手になるには
他人のしない努力をするべし
ってことですね。
とても響きました。
他人と違う努力、、、
そう簡単に思いつかないけど
水泳に置き換えるとスっと
出てきそう。

僕の人生のピークと
中学生生活は全て水泳と
共にありました。
最初は嫌だったけど、速くなるにつれて
楽しくてしょうがなくなって、
こんなに楽しかった時期は他にない。
もう一度試合に出たい・・・!!




水泳に明け暮れていましたが
中学1年から2年の半ばまで
家庭塾に通ってまして、そこでは
水泳と対照的に嫌な思い出しか
ありませんでした。
ウルトラスーパーヒステリックな
東大卒の先生だったんですけど
1度習ったことを間違えると
机をバァーーーーン!!!!!って
叩いては怒鳴り散らすんです。
もう怖くて怖くてf^_^;
よく1年もったと思います。
一時期行きたくなさすぎて
吐いたこともあります(笑)
そしていよいよ拒否反応が
ピークになって、
夜ご飯を家で食べてる
途中で僕が泣き出して、
もう限界でした。
あのクソババァ死ねーーー!!!!
って叫んでは家の壁を殴ったり
引っ掻いたりして、
もう、なんか、酷かった(笑)
今でも辞めれて良かったと思ってます。
毎回見開き1枚の問題集のコピーを
10枚近く配られて、
それが宿題なんですけど
そんなのする時間が無くて
学校の休み時間にやったり
寝る時間を削ったり友だちに
手伝ってもらったりと
工夫はしてましたが
そこまでして勉強する意味が
分からなかったし僕にとっては
泳いでいた方が断然幸せでした。
僕はその塾を母の口から辞めることを
伝えてもらい晴れて(?)選手に
戻ることが出来ました。
ですが待ち構えているのは
人生の関門である受験。
その頃の成績は超普通で、
英語だけ5で体育は4で、他は3
というシンプルな成績でした。
僕は正直都立の共通試験で
通るほどの頭を持ってなかったので
私立の推薦を狙おうと決めました。
ただ推薦と言っても2つ3つと
受けれません。
しかも推薦入試にはだいたい作文が
設けてあり僕はもとより作文は
問題を解くことよりも苦手だったので
試験問題を設けてある高校に
単願推薦という形で受験しました。
単願推薦は一般推薦や一般入試より
合格する確率が上がるけど
その高校に入学することが前提に
試験を行います。
これしか方法はないと思い
その作戦で受験をし
なんとか合格できました。
合格したので卒業までの期間は
ひたすら水泳。
どんだけ好きだったんだ(笑)
卒業式では後輩にボタンを
くれくれってたかられて
残ったボタンは1つだけ。
好きだから欲しいとかじゃなくて
記念にくれ って意味で半ば強引に
獲られた感じ。

中学時代が人生のピークだったな。





~高校生~

スーパー陰キャラでした。

高校生になるとmixiを始めたり
アメブロを始めたりしてたと思います。
クラスにはお目立ちキャラの
クラスメイトがいてその人が場を
盛り上げる。みたいな、僕の高校では
○○キャラ って言葉がめちゃめちゃ
流行っててそれが僕は嫌いでした。
勝手に他人の立ち位置を決めるなって
気持ちが強かったな。
はぁ?なんだこいつ って
思われるのも嫌だし
めちゃめちゃ大人しく生きてました。
そんなこともあって
アイデンティティについてよく
ブログに書いてた気がします。
今思えば痛いな。自分(苦笑)
でも心の成長的な部分では
大事なことなのかもしれない。
そんな気がする。

高校生の頃はこれといって
そんなに楽しくなかったな。
帰りの電車に1人で揺られるのが
1番好きだった。

なんて
寂しい
高校生
なんだ(笑)



3年になると大学受験が
待ち構えてます。2度目の関門。
僕は落ちこぼれていた。
何もかもモチベーションが
上がらなくて予備校に通っては
いたものの学校の成績は
そこまで伸びず、
模試の成績も上がったり下がったりで
成績もメンタルも
フラフラな状態でした。
どこを受けても
全部落ちるんだろうなって
思いながらセンター試験を受けて、
そこでは滑り止めの滑り止めレベルの
大学しか受けなくて、
奇跡的に合格して、
結局センターで合格した
大学に入学するというね。


何気なく去っていった
高校生活は味気ないもので
修学旅行すらそんなに楽しめなかった。
5日中4日雨だったのもあるけど。







~大学生~

大学生活は楽しかったなー。
いろんな意味で(笑)
必死こいたりサボったり(笑)
幼馴染が奇跡的に同じ学部にいたり。
1年生の頃によく遊んだ友だちとは
今でもよく連絡をとっててとても大切。
けーいちろー と ともゆき は特に。
1番の思い出は留学かな~。
あとは飲み会(笑)

3年(2015年8月末)の秋学期に
初めて日本を離れて
カナダに留学して、
すっさまじく寒くて
氷点下はざらでした。

カナダの日記は下記のリンクから!









良い経験でした。
異文化にめちゃめちゃ触れて、
ものすごく大変だったけど
個人の経験値としては凄まじく
高まったと思います。
ただめちゃめちゃ太った(笑)
出発の頃より顔も丸くなったし
人生で1番太ったと思います。



色んなことがあったな~。
友だちが学校辞めたり
文化祭の日は割りと有名な
芸人を見れたし、
毎週のように酒を飲みに行ったり、
バイト仲間にも恵まれて
今でもよく飲みに行ったり
宅飲みしたりしてます。

大学生活が1番幸せを感じることが
多かったかもしれない。
つまり今ですね。
幸多き生活に感謝ですわ。
耐え難く辛い出来事もあったけど
大学生になれて幸せでした。
もう1回この幸せを感じたいけど
流石に無理かなぁf^_^;





とまぁ後半になるにつれて
ざっくりとした話にはなりましたが
僕の人生は僕のもので
1秒1秒止まることなく
生き続けてきました。
僕と関わった人に
ありがとうと言いたい。





なんか
永遠の
別れ
みたいだw






これからもどこかで縁があれば
どうぞよろしくお願いします。












さぁ~て、、、
これからどうしようかなぁ…



フラリと旅でもしようかしら。







また明日(^^)/