そんな恐怖の言葉が気にならない程、

私の出産は危険なものだった。


今になってそれがどんなに危険な状態かを理解して怖くなる。

だから考えないようにしている。


当時の私の子宮はそれ以上の問題を抱えていた。

もちろん全身麻酔の出産で、

出産前は1ヶ月入院した。


最悪人工肛門になるとか、

麻酔から覚めた時どうなってるか分からないとか、散々怖い事を言われ、手術当日は死刑囚の気分だった。

本当に命懸けの出産だった。


産後、助産師さんや看護師さんがそれまで思っていた事を話してくれた。みんな本当はヒヤヒヤしていたらしい。私の様子を見て不思議な人だと思っていたと言う人も居た。それはただ看護師さんほど専門的な知識が無いから危険な状態をそこまで理解できていなかっただけだったと思うけれど。


手術までは出来るだけ明るく過ごす事を意識していた。私が怖がりすぎたら産まれてくる赤ちゃんが怖い世界だと思ってしまうと思って、出来るだけ笑って過ごす事を意識した。

同室の人とゲラゲラ笑って過ごす事も多かった。

赤ちゃんが楽しみながら出てこれるように、それだけを考えて過ごした。

一緒に頑張ろうねとお腹をさすって、テンションが上がる音楽を聴いた。


退院前に先生が論文を書くという話をしてくれた。数年したら検索したら出てくると思うと言われていたので、検索したらちゃんと出てきた。


自分の出産が誰かの役に立つ可能性がある、

それだけで自分の子供を誇りに思う。

産まれただけですごい事をした。


1ヶ月入院して、

たくさんの妊婦さんが泣いているのを見たし、

夜はいつもシクシク聞こえてきた。

みんなそれぞれ、大変で命懸けの出産だ。


自分だけが特別大変だったとは思わない。

でも特別ラッキーだったとは思っている。

世界的にもレアな症状だと言われ、

この子宮では妊娠すら出来ないと言われた私が出産した。

不妊治療もそろそろ終わりにしましょうと言われた私が出産できた。

本当に奇跡の連続だった。

そんな命を私は大事に育てている。


久しぶりに先生に会ったら、

先生が子供に

ママはいっぱい頑張ったんだよ

と言った。

涙が出た。

頑張ってるつもりはなかったのに。

むしろ頑張ってくれたのは先生なのに。


耐える事は昔から当たり前の事で、

私にとって頑張る事ではない。

大きくなったねとかじゃなく、

私が頑張ったと子供に言う先生は

相変わらず私の横に居てくれる気がして嬉しかった。


今辛い思いをしている妊婦さんには

できるだけ赤ちゃんが元気にワクワクしながら出てこれるような気持ちで過ごして欲しいと思う。

出産は1人じゃない。

繋がってるからこそ楽しい時間を共有して欲しい。


本当に本当に怖かった。

でもたくさん笑って過ごした。

産まれてくる赤ちゃんにとって

そんな世界であって欲しいと願って。