ふと考えた。
百年後、この世界がどうなっているかはわからない。
地球があるのかもわからない。
いま自分たちが生み出し、残していきたいと願う
人 事 物 思 念
どうなっているんだろう。
それにどこかの誰かがなんらかのカタチで触れた時、
それについて考えをめぐらす人がいるのだろうか。
もしくはどこかに埋まって、化石のようなものになるのかな。
いや、きっと明るいはずではあるのだけれど、
いまこうした時代を生き抜いているように
その時も人は生きていると信じると
風が吹き太陽を浴びる自然が広がる中、
進化する人間の人情は変わらずに、
個人の感性をのびのび表現できる世の中になっていますように。
タゴールについて話したくなったのでこんな時間にも関わらず
ちょっとだけ。
タゴールの詩は、生きるヒントに度々なっている。
ずっしり刻み込まれるメッセージが詰まっているので、
バイブルというか、着火剤というか、即発剤というのかな。
詩(文字)から湧いてでてくる想像は一度頭の中で記憶などと一緒に
ミックスされるんだけれども、その後に構築されていく感じ。
広がりやすいというか、とても感化されるんだなああ。
私は、彼がかつて訪れたという三渓園の近くに住んでいて
それを知ってから、一層地元に根付く思いが増した。
ここに居たい、と選んだ場所はきっとバイブレーションだったのか。とかとかね。
心強い気持ちになれたり、見えない力を見えるようにしたり、
もしくは何かに代えることができるような
本当にそれができるというわけじゃなくて、
せめてそういう気持ちを鼓舞してくれるような、
生きる自信や表現の力が湧いてくるような。そんな存在が近くにあったと思うと
とても幸せにおもう。

百年後
いまから百年後に
わたしの詩の葉を 心をこめて読んでくれる人
君はだれかー
いまから百年後に?
早春の今朝の喜びの 仄かな香りを、
今日のあの花々を、鳥たちのあの唄を、
今日のあの深紅の輝きを、わたしは
心の愛をみなぎらせ 君のもとに
届けることができるだろうかー
いまから百年後に。
それでも、ひととき 君は南の扉を開いて
窓辺に座り、
遙か地平の彼方を見つめ、物思いにふけりながら
心に思いうかべようとするー
百年前の とある日に
ときめく歓喜のひろがりが、天のいずこよりか漂い来て
世界の心臓(こころ)にふれた日のことをー
いっさいの束縛から解き放たれた 奔放で うきうきした
若やいだ早春(ファルグン)の日のことをー
羽ばたく翼に 花粉の香りをいっぱいのせた
南の風が
にわかに 吹き寄せ 青春の色調で
大地を紅く染めたのをー
昔の時代(とき)から百年前に。
その日、生命たぎらせ、心に歌をみなぎらせて
なんと詩人は目覚めていたことか、
どんなにか愛をこめ どんなにか多くの言葉を
花のように咲かせたがっていたことか!
百年前の とある日に
いまから百年後に
君の家(うち)で、歌って聞かせる新しい詩人は誰か?
今日の春の歓喜(よろこび)の挨拶を、わたしは その人に送る。
わたしの春の歌が、しばし君の春の日に こだましますように。
君の心臓(こころ)の鼓動のなかに、若い蜂たちのうなりのなかに、
そして、木の葉のざわめきのなかにも、こだましますように。
いまから百年後に。
横浜インド文化交流会より転載。
http://india.hamacco.net/tagore/poem.html

ここにいますよタゴールさん。
って言いたくなちゃって。
すっかり朝焼けも過ぎて、空は明るくなってる。
時を越えても変わらない。
信じて進もう。
グッドモーニング!
