『驟雨』(1956年)
成瀬巳喜男監督の『驟雨『』(1956年)を観ました。成瀬監督の
映画は、『石中先生行状記』(1950年-オムニバス3話の中の一
つ)、『稲妻』(1952年)、『あにいもうと』(1953年)、『浮雲』(1955年)、
『秋立ちぬ』(1960年)、『夜の流れ』(1960年-川島雄三との共同
監督)、『乱れ雲』(1967年)と、数えてみたところ、8本目でした。
正直なところを申しますと、成瀬さんが巨匠であることは知って
いたので、日専で特集が組まれることを知った際は、全作品を
フォローしてやろ、くらいの勢いがあったのですが、映画鑑賞と
いうものはままならないもので(単に自分が怠惰なだけですが)、
上記のように、まだ2桁台にも到達していない有様。と、もう一つ
何か、掴めない監督さんだなあ、というのが正直なとこでした。
なので、今回、きちんと、VTRに録画したのは、水木洋子さんの
名前に惹かれたからです。その上、原作が、ひいき筋の久生の
師匠、岸田國士さんですから、成瀬作品を鑑賞する、とのスタンス
でなかったことだけは確かです。でも、この作品には、完全に
参りました。――心理劇だったのです。
どうも、私には、二種類の映画があるようです。一つは、登場人物
の行動の必然性など、一切気にしないまま、プロットとストーリー
を追って最後まで一気通貫に観てしまうもの。これは、この先どう
なるのか、この謎をどう合理化するのかへの興味で最後まで観ら
れます。もう一つは特に派手なストーリー展開がなくても、そこで
繰り広げられる心理戦が、最終的にはどう収斂されるのかへの
筋道を追って行く鑑賞。この場合、何よりも重要なのは、登場人物
たちの心理がいかに正確に描かれているか(心理のデッサンの緻密・
正確さ→copyright坂口安吾)が、その映画に対する評価に直結
します。最高クラスで、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』(映画では
なく、原作の方)で、日記の記述者が、孫に『オジイチャン、ウデガ、
イタムノ?』と聞かれ、ベッドに寝たまま不覚にも涙をこぼし、それを
見つかるまいと反対側に顔を向けたら、余計に涙が出た、とのくだ
りを読んだ時に感じた気持ち。水木さんの登場人物の性格付け、
そして、心理の足跡の正確さは、瞠目するものがありました。
具体例を挙げたらきりがないので、この映画での香川京子さんに
関して記します。素晴らしいです。瑞々しくって、健康そのもので、
品の良い蓮っ葉な言葉(この表現は矛盾していないと思うのですが)
を鉄砲玉のように口に出し、今まで観た香川さんの演じたキャラクター
中で、いきなり最高位に就きました。明朗闊達と云う言葉を目に見せ
てくれているかのよう。特に、何回か披露する物まねでの芸達者振り
は必見。その前後の芝居も本当に上手い。その上、店やものの、
うどんを前にして、割り箸を振り廻しながら自説を力弁する姿のcuteな
こと! あまりに輝き過ぎている(この映画で香川さんの登場は、1シーン
だけです)ので、それ以降が少し中だるみして感じられたほど。原節子
さん、中北千枝子さん、根岸のあけみんたちが、それぞれの役割を
適切に演じているので――この映画には、魅力のある男性は登場
しません。特に原さんの夫役は、その人格風評通りの性格(に観える
芝居をしています、とフォロー)――最後まで観られましたが、ちゃんと
観て本当に良かった。
水木洋子さんのクレジットは『脚色』となっています。wikipediaに拠る
と、岸田國士さんの複数の戯曲をmix-upしているらしい。その才気
には畏れ入りました。
そればかりか、映画の舞台となっているのが、筆者が現在、従事し
ている職場の最寄駅(O線U駅)であることをwikiで知り、腰が抜けそう
になりました(郊外っていわれてるし)。明らかに木造の駅舎が映り、
『ヶ』の字だけ、読み取れたので、幡ヶ谷かなあ、と思っていたのです。