鳥瞰と虫瞰社会の大変動期は、人々は鳥瞰を求めると言われているが、言い換えれば無常観が広がっているということだ。出来るだけ遠くへ視線を投擲したいという思いが共通感覚としてあるのだが、なぜか歴史上の時間がシンクロしてくる。そのような世界視線は絶対性との共犯関係を持ってしまうのではないのか。草むしり一つ取っても、手を抜かないで足元の仕事を、小さな虫のような視線で行っていく姿勢が喪われているような気がしてならない。