きょう4月29日は
アメリカのジャズピアニスト🎹デューク・エリントンの誕生日🎂。

今頃、空の上で敬愛するエリントンとお気に入りのフランケンワインで乾杯しながらジャズ談義に花を咲かせているのでしょうか…。

「デューク・エリントン」の著者であり、横浜JAZZ協会顧問を務めジャズ文化の普及に貢献した柴田浩一さんが先月31日、食道がんのため73歳で亡くなりました。
カメラ撮影:柴田さんと長年親交のあった写真家の森日出夫さん。森さんから提供していただきました。)

1993年に始まった日本最大級のジャズフェスティバル、横濱ジャズプロムナードでは立ち上げから尽力し、プロデューサーを歴任。国内外から毎年素晴らしいアーティストを呼び込み、いまや毎年10万人が訪れる人気のジャズフェスティバルとなっています。
これも柴田さんの長年の功績であり、アーティストからも絶大な信頼を得ていました。


そんな柴田さんとの出会いは8年前。
わたしが毎週水曜日のNHK横浜のFMラジオ放送「FMサウンド☆クルーズ〜ヨコハマ発ジャズクルージング〜」でパーソナリティーを務めていた時、毎回ジャズの案内役を務めてくださっていたのが柴田さんでした。

毎回柴田さんが中心になってテーマや曲を考え、それを基に番組進行していました。
たいていテレビもラジオも番組制作の現場では毎回どんなテーマでどんな内容を放送するかスタッフは頭を抱えるものですが、
このジャズコーナーは2008年から毎週放送していたのに一度も柴田さんがテーマや曲選びに悩んでいる姿を見たことはありませんでした。柴田さんご自身が心から楽しんで横浜のジャズ文化発展のために番組づくりに携わってくださっていました。長年の功績が認められ、2011年にはNHKから地域放送文化賞を受賞しています。
カメラNHK横浜FMサウンド☆クルーズ「ヨコハマ発ジャズクルージング放送200回記念」の際、馴染みのお店が記念にラベルを作ってくださいました)

わたしはもともと小さな頃から様々な楽器に触れ、音楽が大好きなので、ジャズ番組のパーソナリティのお仕事が決まった時はとにかく嬉しくて、毎回その仕事に携われる喜びを感じながら務めていましたが、ジャズがこんなに好きになれたのは間違いなく柴田さんのおかげです。

オンエアの後はたいてい様々な横浜の老舗ジャズスポットを案内してくださり、生演奏はもちろん貴重なレコードが聴ける店では名演に耳を傾け、面白いジャズのエピソードをたくさん教えてくださいました。


ただ、どんなにジャズトークが盛り上がっていたとしても、レコードから流れるメロディーでここが聴きどころというところでは突然柴田さんが無言になり「聴け〜!」と言って名演にしばし耳を傾ける…このような場面が印象的で、本当に柴田さんはジャズがお好きなんだなと思うのとともにわたしにとってはそれが貴重な学びの場でもありました。

ところが、そんなある日のこと、柴田さんが食道ガンに冒されるようになり、お見舞いに伺う中で、予想もつかない言葉が返ってきました。

「いまはもう音楽は何も聴きたくない」

大好きなものまで病は奪ってしまうのか…癌という病気の恐ろしさを実感した瞬間でした。


その闘病中、柴田さんは最期まで情熱を持って病と闘い抜きました。
去年の夏、がん闘病中に10年ぶり3冊目となる「ビッグバンド」についての本を出版。その後も入院先のベッドで亡くなる直前まで執筆活動を続けました。

カメラ去年8月、司会🎤を務めさせていただいた柴田さんの出発記念パーティーにて)





カメラ去年8月、柴田さんの出版記念パーティーで集まったジャズミュージシャンの皆さん)

横浜とジャズをこよなく愛し、横浜を文化都市にという思いで一生を捧げた柴田さん。
わたしのアナウンサー人生の中でかけがえのない出会いです。



どうか空から横浜の街を、ジャズ文化の発展を見守っていてください。

尊敬と感謝の気持ちを込めて。

2020年4月29日
眞方富美子