ミラはミラで、彼女自身が懸念していた最悪のパターンへ陥っていた。

年末商戦のクリスマスとNew Yearが終わると、ミラはDISCOからお払い箱となる。

世間では、山口県で発生した「鳥インフルエンザ」のニュースが流れていた頃の話である。


そしてミラは、池袋のPPへ移転させられ、ホステスとして扱われ、住むバハイもタレントのタコ部屋へと移って行った。

私は、彼女を励ます為に彼女が移転したPPに毎晩付き添った。

通い始めて10日ほど経つと、気がつけばミラと一緒に暮すようになっていた。

しかも、私のマンションではなく、ミラのバハイ。。。そうタレントのバハイである。


Pinaの愛人や肉体関係を持つ邦人男性は多けれど、タレントのタコ部屋でタレント達と同棲生活を送った日本人は希少だと今でも思う。

この後、ミラのマネージャーの信頼を得るまでの約2ケ月半もの間、私はミラと一緒にタレント達のKuya(兄貴)としてタコ部屋で生活をしたのであった。

ミラほどのタレントなら、本来であればマネージャーを通じて「異議申し立て」をして、即 帰国をするのだが、彼女は異議を申し立てなかった。

もうここの生活も慣れてきた頃だったが、この頃には文句を言うどころか⇒私との生活を満喫しているようだった。

気がつけば、バハイ近くにある商店街:Happiness roadを、仲むつまじく歩く二人であった。

更に、お店で私とカラオケを歌うミラを見て、マネージャーやP関係者までもが驚いた。

*このレベルのタレントは契約条項が厳しく「複数の客の前で歌う時にはギャラが発生・・・」とか「タレントの日常生活の保証」など様々な制約があった。


この頃の私のタイム・スケジュールといえば、20時にミラと同伴して、1セットで店を出る。

その足で、彼女達のバハイへ帰り、帰宅後の食事を仕込む。

食事の準備が終わると、シャワーを浴びて一休み。

いつも、時は22時前後。

一度ベットへ入り仮眠する。

ミラが3時半過ぎに帰宅すると、起きて皆と一緒に食事を食べる。

ミラの就寝に合わせて一緒に寝て、私は730分に起床する。

近くのファミレスでコーヒーを飲み、そこに置いてある車で出勤。

これが、この頃の日課であった。


時に自分のマンションに帰らない私と、ミラに会いに時々ジーナがこのバハイまで遊びに来た。

最初は、このバハイのタレント達やミラにも疑われたが、ジーナのレズビアンである裏づけ(確証)が取れてからは公認のBestFriendという事なっている。

もちろん、ジーナがニュー・ハーフである事は誰も知らない。

今日もジーナは、冗談としてミラの目を盗んで私の耳元でそっと囁くようにして言う。

『ハニー コンドミニュウム アコガ ソウジ シトイタヨ(^.^)b

チャント サラリー ペー(Pay) シテネ(^^)v。。。チャリ~ン』

私は、アイコンタクトで「サンキュ」と礼を言う。


この頃の私には、怖いものはなかったように思える。

Pinaは私に、日本人が皆 背負っている重ぉ~い、重ぉ~い荷物を全て捨てさせ、人として本来のスタンダードな生き方を実感さてくれた。

だから、フィリピン人ホステスの寮に住み込み、フィリピン人女優と関係を持ち、フィリピン人のニュー・ハーフとつるんで、タレント達と同棲している事に、何の抵抗もなかったし、もしろそれを心から楽しんでさえいられた。


私は、このような生活の中で強く感じた。

Pinaが捨てて、新たに手に入れようとしているモノと、日本人である私が捨てて新たに手に入れたものは、まったくといってよいほど反比例していた事に。

こうして、平成の世に繰り広げられる「浮世離れしたPina社会」で暮らす私であった。