綾辻 行人 (著)

現代において文学はその力を失いつつある。日常の瑣末なことを書くことが主流になり、人生とは小さな幸せの積み重ね、といわんばかりの文章ばかり。しかし、かつて文学は芸術の中の芸術として、すべてを描ききるというマクロ芸術として、君臨していた。 

                                                                                                               

文学史上最高峰の作品のひとつは? と聞かれれば、ドストエフスキーの「罪と罰」と答えるしかない。この罪と罰こそが文学がマクロ芸術であった時代の最高の作者により書かれた最高の作品であるだろう。

 

主人公のラスコーリニコフがキリーロフという人物の下宿を訪ねたとき、キリーロフはろうそくも灯さないまま部屋の中を歩き回っているらしく、こつこつという足音が部屋の外にまで聞こえてくる。、ドアを開けて入ったラスコーリニコフにキリーロフがしゃべりかけた最初の言葉というのが、

「よお、元気だった」

てもなく、

「ひさしぶり」

でもなく、

 

「人はなぜ自殺しないのだろうか」

 

だったという。

 

罪と罰のなかで登場人物は、ぎりぎりの生を生き、ぎりぎりの判断をし、ぎりぎりの死を死ぬ。このことこそがかつて文学を偉大たらしめた一つの要素だったのでは、と考える。この思想を現代に引き継いでいる文学ジャンルこそが、推理小説のなかの本格派であるのではないか。この畸形の文学こそが、じつは文学の本流であるとひそかに考えている。密室殺人、最後のどんでん返し、全知全能の探偵、読者への挑戦。これぐらいしないと19世紀文学には対抗できないだろう。

 

綾辻 行人の文章はもちろんドストエフスキーにはおよばない。しかし、もしドストエフスキーを読みつくし、現代日本版におけるドストエフスキー的なものをと渇望されるのならば、この館シリーズを読むことをお勧めする。