私は産まれた時からよく泣く子だったらしい。‪
3歳頃には逆に泣く事なく、むしろ頑固で靴下がズリ落ちて来るのが嫌でゴネて、バスを3台も遅らせてしまったらしく、ずっとその事を言われ続け、父親からはグズと呼ばれるようになってしまった。笑


近所のお祭りに行くのに浴衣を着せられた時に
お風呂上がりに汗を吸い取ってくれないポリエステルのような素材を着るのが苦痛だった事も思い出す。

姉のは肌触りが良さそうだなと(今思うとあれはコットン素材だ 笑)羨ましかった。

親戚の叔母さんに頂いた浴衣を姉妹の身体の大きさに合わせて着せられていたに過ぎないし、よその子も私と同じ素材らしいのを着ていたけど、全く平気そうだった。

とにかく私は服があるべき位置(靴下や下着のゴムの具合など含め)にないと落ちつかないし、タグのチクチク感も嫌だった。

ご飯に何か小さな黒い物が付いていたら、1つずつ取り除き、テーブルに並べてしまってよく怒られた。(当時のお米には黒いものが付いていてもおかしくない)それを取り除いたら食べる量が殆どなくなる 笑


親の喧嘩にも敏感で、空気を読み、グッタリしてダウンしてしまう事もよくあり、医者にも
神経質のレッテルを貼られた。
朝起きると吐き気を繰り返し、3日経つとケロっと治る病気、自家中毒という病気で神経質な子供にありがちだそう。


私がこれを定期的に繰り返す度に、母の心配そうな顔色を見て、子供ながらに申し訳なさでいっぱいになると同時に、私と入れ替わりに具合いが悪くなるので、私の看病で疲れたんだなと悟る 
私が具合が悪くなるのは単なる身体が弱くて体力がないからだとされ、友達同士の遊びも制限されてしまった。


すぐにお腹を壊してしまう為、水は飲んではいけないとまで言われて、喉が乾いても我慢していた。今思うと、ゾッとする。 昔の医学と今では大分違うかも。 
お腹を下すのは水分が原因とされていて
水分が出てしまうのに、水分を制限されていた恐怖。

本当は、姉のように無邪気に沢山遊んで子供らしくしていたらストレスもここまで溜まらなかったのかな
姉は、私の分までやりたい放題で親に叱られようがへっちゃらだし反抗もしっかりしていた。
その分、私は良い子でいないといけなかったし
主張ってしてはいけないものだと思っていた。


親の喧嘩はしょっ中で、その度にビクビクしていた。
きっと、家庭での悩みが顔に出ていたのか
暗い奴と言われ、いじめのターゲットになってしまった。
いくらやられても何故か泣かない子(泣くのは恥ずかしいことだと思っていたからかも)だったから
それが生意気だと言われ更にやられた。
母は強い性格だから、いじめられる事は恥ずかしい事だし、やられたらやり返せのタイプだから母に言えなかった。


それでも、心のどこかで家の中での悩みよりはマシだったと思っていたからなのかな
親が喧嘩して空気が悪くなる事が1番悲しかったのかも。

家族で遊びに行く事が決まった時にはまだ小学生なのに、疲れ切っていて姉と全然違って喜べず、変わった子供だとも言われた。
今思うと、誰よりも敏感に感じ取り、親に気を使い、学校ではいじめられ、疲れ切っていたんだと後で気付いた。

今こそHspという気質が確認されているけど
もっと早く知りたかったという気持ち  

人からは変わった目で見られ、親からは呆れられ  それでも一つの事をコツコツ真面目に誠実にやる。これだけは親にも先生にも褒められた唯一の事だ。
(なのに熱しやすく冷め易いという矛盾があったけど、全力でやって後でダウンしてしまうのも事実 笑)
きっと、わーっと一気に感情が盛り上がり
それで疲れて燃え尽きてしまうって事なのかな?


ある日HSPというのが目に入り、どう考えても、全部当てはまる。

何とも言えない安心感があった。
と同時に、もっと早く知りたかったという気持ちもある。
ずっと自分は自信のないダメな人間と思い込んでいたから。

生きているうちに自分というものを知れて良かった。
家族が鈍感というより、自分が敏感過ぎた事に気付いて気持ちが楽になった これからも色々あるのだろうけど、これを知っているのと知らないのとでは大分生き辛さが違って来る気がしている。


同じタイプが周りには居ないけど、5人に1人は居るという事を知り、少し安心した。


子供の頃の事を思うままひたすら書いている内に
なんだかさっぱりとして来た。 誰かが見てくれているかも知れないし、見ていないかも知れない自由に吐き出せるブログという場所があるこの時代に感謝したい。

最後まで読んで下さった方は、ありがとうございます😊