政治と子供と・・・
今日は久々にいつもの調子で書いてみようと思います。先日来より、国会でも取り上げられる『待機児童』の問題。これは自民党政権に戻る前からの懸案でした。そして『一部の地域』では未だに解決の目処が立っていません。その中で降って沸いたTwitterでのつぶやきが大きくクローズアップされる事になりました。奇しくも衆参ダブル選挙が囁かれるのに呼応するかのように。先般報道の公平性に関する電波法の扱いについて議論を呼びましたが、こうした流れとも決して無関係ではないという事を分かる必要があると思います。安倍政権が掲げる『一億総活躍社会』というスローガン。これを叩き潰したい勢力というのは野党だけではなくマスメディアにも存在する事を忘れてはなりません。勿論与党たる自民党も看板を掲げるだけではなく、しっかりとその実を示して実感させなくてはいけませんが。さて、これから書く『待機児童』の問題。いつもならヘイトスピーチに敏感な人たちならば発言の是非は兎も角として、表現に対する批判があってもよさそうですが、私が見る限りではそうした声は全く無いように思います。そうした面からもこの問題を煽っている勢力のバックボーンが分かろうと言うものですが、事実として問題はあるので、今回はそこを真正面から書いてみます。そもそもこの問題は昨日・今日に始まった問題ではありません。10年・・・いえ、それ以上前から言われていたと思います。私の住む県でも決して0という訳ではありません。しかし、大きく突出して問題化しているのは東京を始めとした大都市圏ではないかと思います。実際ニュースなどで目にする抗議活動も首都圏で行われている事からも地方の問題ではないと考えて差支えはないのではないかと思います。中には子供も居ないのに政権批判に使いたい某精神科医の女史はシュプレヒコールの代わりなのでしょうか、同じ事を叫んでいるようですが・・・。ちょっと待ってもらいたい。そもそもこの問題、国が動いて明日にでも解決する問題なのでしょうか?そして、現政権が怠慢だったから問題が解消しないのでしょうか?私はどちらも違うと思います。待機児童問題は老人看護の問題とも非常に似通うと思いませんか?どちらも深刻な問題を抱えています。一つは受け皿の不足。もう一つは担い手の不足。少し前には越境入所などという言葉も踊っていましたよね?都心にいる高齢者が県外の施設へと流れる現象。あれと今回の問題とは根っこは同じなんです。そしてもう一つ勘違いをしているのは、こうした問題における最初の当事者とは各都道府県単位での役場の筈です。その事が抜け落ちて、一足飛びに国・・与党に責任を全て負わせるのは間違いです。こうしたニュースに埋もれるようにですが、少し前にこうしたニュースがありました。都心のある区で、保育施設を建設するに当たって地元住人・・・特に老齢の方からの大きな反対があって建設に着手出来ないというものでした。そもそも子供の数は年々減ってきており、地方では小学校などが廃校になるケースも珍しくありません。なのにどうして待機児童は減らないのか。不思議に思いませんか?そしてそこからとてもシンプルで簡単な答えが導き出されませんか?私が考えるその答えは、人口の集中。これに尽きるのではないかと思っています。最近、都内にある各省庁の本局を地方に移す試みが始められています。しかし、そこで働く多くの役人の反発があると聞き及んでいます。文化庁などは京都への移転が決まったようですけどね。地方に住む私などには分かりませんが、都心に住むというのは単なる利便性以上の何かがあるのでしょうね。勿論子供の生活環境を変えたくないと考えている面もあるのでしょうが、それだけではないですよね?仕事をする場所から通勤に2時間掛けているケースなどは首都圏に住む人にとっては当たり前でしょうが、地方の人間にとっては無駄以外の何者にも映りません。一票の格差に象徴されるように、地方では人口の減少に歯止めが掛からず、とうとう県境を跨いだ合区まで出現するようになりました。その一方で首都圏や大都市には住む場所が限られているにも拘らず人口は増えるばかり。地方に住む人は道路の整備事業さえも後回しにされるばかりか、選挙における差別まで受けるのが実情。一方都心などは幾つもインフラが巡らされた上に、莫大な税金を使った再整備や大型建築が絶え間なく行われる。地方の荒れていく道路はニュースにならなくても、首都高速の老朽化は全国ニュースになる。このような事を当然のように考えている人達が、今回の問題でも大声を挙げているのではないですか?密集していく人口の中で、騒音緩和は勿論やれ日照権だのと、密集地域の人たちの権利ばかりが声高に言われている実情におかしいと思わないのでしょうか?自分の権利は強硬に主張する。でも他人との共存や我慢はしたくない。先に挙げた保育施設の建設反対などは正にそうしたエゴイズムの最たるものではないでしょうか。嘗てのローマ帝国ではローマに住む利便性と相反する環境面での我慢とを両立させていましたし、そこに住む人達もそれを当然の事と受け入れていました。そうした姿勢の欠如を、自分たちの中で解決するのではなく、全て政権が悪いというのは余りにも短絡的で現実を見た人の意見とは思えません。私の住む地域には大小併せて4つの保育所があり、余程の事がない限りは待機児童が発生する事などありません。2万に満たない人口ですがそうした場所もあるのです。翻って、大都市圏の区や都にはそうした取り組みを行うだけの行政機関は存在しないのでしょうか?なまじな国規模よりも余程予算を左右している都議会を始め、区にも議員はいるでしょう。彼らは何をしているのですか?そして何よりもそれぞれの地域住民がそれを本当に危機と認識しているのでしょうか?この問題で、強硬な反対意見の中に『引っ越せ』というような事を言う人もありますが、それはそれぞれの生活の糧の問題もあるでしょうから簡単には言ってはいけない言葉です。しかし、ここ数年聞こえるニュースにあるように海外へ渡航する日本人は増えています。ですが私の周りは勿論、仕事で関わる人達を見渡しても海外へ行くような話が日常で聞こえるような環境ではありません。海外へ渡航している人の居住区を調べる事が出来るならばその比率が私の意見を後押ししてくれるのだろうと考えますが、明らかにそれはこうした地域格差とは無縁ではないでしょう。自分達の生活スタイルは変えたくない。豊かな生活も便利な環境も維持したい。でも他人の為に少し自分が我慢しようなどという公共心はそこには無いのではありませんか?繰り返しになりますが、保育施設を拒否している理由は『子供の声が煩い』というものなのですから、この私の意見を否定するのは非常に難しいと考えますが如何でしょうか?そしてもう一つ、東大阪で問題となっている保育施設の事案を例に引けば、単純に数を国が押し付けるように作ったとしても運用面において利用者が不条理を甘受するような事案がどんどん増えるだけです。これは政権批判などではなく本当に国として、都道府県レベルとして、市区町村レベルとして、そして何よりも私達一人一人がどうやって子供や老齢のケアを回していくのかという問題だと私は思います。そして最後に、未だ寒暖の差が激しい中で、主張を掲げる為に子供をダシに使う大人たちよ。恥を知れ。本当に困っている人があんなデモをしている場合ですか?死に物狂いで探して回るべき所を、子供の健康を害する可能性に目を瞑って、尚且つ待機児童とは関係のない各種の問題と絡めて利用するような真似は直ちに辞めるべきです。本当に子供を施設へと考えるならば、あなた達が向かうべきは国会などではない。最寄りの役場に押し寄せるべきなのです。それをしないあなた達は単なる政治パフォーマーであり、子供の事など考えていない人たちだ。子供を全面に出しながら、その実は自分が可愛く、守りたいだけの存在なのだと知りなさい。同じ子を持つ親として、あなた達の主張には共感しません。