こんばんは。

2日経ても、水底に清彦と沈んだまま。
まだ「龍の宮」から心が戻って来ないruneです。

ふと目を閉じれば、あの蒼い月と夜叉ヶ池の景色が浮かんで来ます。


少しネタバレしつつ、書き散らしてみますね。

夜叉ヶ池の水辺に咲く「桜蓼」という花が物語の重要な役割を担っていました。

可憐なお花でしょう?



花言葉は「愛くるしい」

清彦と玉姫。
複雑に絡み合う2人の「運命の糸」を解(ほど)く鍵は、幼い頃の清彦が玉姫と交わした「桜蓼の約束」でした。

誰でも人は大人になると、多かれ少なかれ子供の頃持っていた純粋さを失ってしまう。 
 
1000年の昔。
幼い頃からの恋人に裏切られ、水底へと沈んだ玉姫は、裏切った男の血(清彦の先祖)を根絶やしにする為に、成人となった清彦を水底へと誘う。


ところが。

清彦は昔水辺で出逢った時のまま。
桜蓼の花を捧げてくれる、と誓った頃と同じ。

優しく、清廉で、たおやかな風貌の中に、意外とも言える「芯の強さ」が隠れている。
書生として住み込む島村家の令嬢・百合子に淡い恋心を抱いても、身分の差を思い踏み込むことは出来ない。
けれど誰よりも彼女の幸せを望んでいる。

清彦は、そんな青年なのです。

せおっちは役者として「まっさら」な素材を持ち続けている人なので、指田先生の当て書きなのだろう・・・きっと。


「悪党ならば、良かったのになぁ・・・」

玉姫が、一人呟くこの台詞には、全ての感情が込められていました。

血脈への憎悪。 
純粋さを失わない清彦への安堵。

己が持つ感情の攻めぎ合いに心を乱す。
この難しいお芝居を有沙瞳は自然に、そして気品高いものにしている。
ましてや、玉姫は「人ではない」
凄いとしか例えようが見つかりません。

この作品に於て。
清彦が瀬央ゆりあであること。
玉姫が有沙瞳であること。

必然だったのだ、と納得させられます。

命を助けられ戻った地上(30年後)で、
幼い頃の約束を思い出す清彦。

そして「愛くるしい」と思う相手は百合子ではなく、
あの雨の夜。夜叉ヶ池で出逢った淋しげな女性、すなわち玉姫であることに気付く。

桜蓼の花に頬を擦り寄せて、玉姫を思い清彦(せおっち)が流す涙は悲しく、とても美しかった。
狂喜をはらんでいても尚、美しかったです。


はぁ・・・思い出すだけで、胸が痛くなる。 
どう記して良いか迷ってしまう。
纏めることが出来ないこの感じ。久しぶりです。 

複雑に絡み合う運命の糸。
幕が降りる瞬間までに、全ての謎を解き、伏線を回収した指田先生の見事な演出。

清彦や玉姫、龍の宮に住む異界の者たち。 
彼らが紡ぐ美しい言葉の数々は、舞台を観ながらも、まるで物語を読んでいるかのような不思議さをもたらしてくれました。

再演も、東上も。
本当に無理なのでしょうか。
決して贔屓の主演だから・・・ではないのですよ。

この悲しくも美しい世界を、たくさんの方に観て、感じてほしいのです。