朝、街がまだ動きだす前。
とある男が、机に向かって黙々と作業している。
…といっても、それは彼の生業(=作曲)ではない。
彼が数えているのは「コーヒー豆60粒」。
ひと粒、またひと粒。
不器用な大きな指で、豆を丁寧に拾い上げる。
「61じゃダメなんだ、59でも足りない」
彼、楽聖 ベートーヴェンにとって、その一杯は"音楽"と同じくらい正確でなければならなかった。
このあたりのバッグボーンは 、
こちらのブログ(April 17, 2023)をお読みいただければ幸いです。
ベートーヴェンが生きていた18世紀末。
今のようにドリップバッグもカプセル式もない時代。
コーヒーは、じっくりと味わい、そして一日を始めるための儀式でもあった。
その習慣が、今、私たちにもつながっている。
けれど、2025年のこの時代。
60粒の豆で淹れた一杯が、静かに、でも確実に「ぜいたく品」に変わろうとしている。
■
今年に入り、コンビニコーヒーが続々と値上げ。
街角の喫茶店も、苦境の中で灯りを消していく。
かつて「庶民の一服」だったはずのコーヒーが、なぜこんなにも高価になってしまったのか。
その背景には、温暖化による収穫減、農家の転作、輸送費の高騰、そして円安…。
小さなカップの中に、世界の矛盾と歪みが見えてくる。
目の前のコーヒー1杯の中に世界情勢が凝縮されているようだ。
■
コーヒーの木 1本が1年で実らせる豆は、たったの400グラム。
ベートーヴェン方式で1日1杯飲むと、9本分の木が必要になる。
しかもその木が育つまでには、3〜5年もかかるのだ。
——なんて、知ってしまうと。
今、手の中にあるこのカップが、少しだけ重たくなる。
どこか「悲愴」な旋律が、心の奥で流れ始めるのを感じる。
■
それでも。
私たちは今日も、コーヒーを淹れる。
ベートーヴェンのように、豆を数える時間はないけれど、
ひととき、心を落ち着かせ、何かに向き合うスイッチとして。
願わくば、この一杯が、
また明日も「日課」として楽しめるものであってほしい。
——ジャジャジャジャーン!
運命ではなく、希望の交響曲が、響きますように。

