カメルーンで、
金曜日、音楽会観に行ってきた
にわかです。
音楽会、
大事ココ☝
聴きに行っとらんと、
観に行ったと。
( ´-∀-)b
金曜日をもって
妹にわかちんのおフランス系学校は
2週間の春休み。
やけん?
最後に音楽鑑賞会があるってんで、
行ってみたと。
子供らも鑑賞。
おぉおお✨
音楽的にうまかったかどうかは
さておき、、、、
おぉおお✨
黒い人がバイオリンをって
思ったと。
※個人的意見です、差別的意味ではなく、
おお!頑張ってる!っていう意味。
で、
疑問に思った、、、
クラシック音楽で黒ぃ人って
あんま見らんくない?
っていう素朴なギモンが。
で、
調べてみた☟
同じ疑問を持ってる人いたよね~。
クラシック音楽で黒人を見かけないのは何故?クラシックの演奏者や作曲家で黒人を見かけないのはどういった理由があるのでしょうか。センスの問題?社会的な理由?
アイデンティティと生育環境、クラシックが盛んな国での人口比をあげておきます。 クラシックは音楽の中でも最も人種的には門戸は広く開かれていると思います。ロック、いわゆるムードミュージック、ポップス、などでは人種によって入りにくい、あるいは入ったとしても曲調をえらばないとおかしい、ものがあります。 この点クラシックはとても楽な分野です。 ですから、才能ある黒人がクラシック音楽家になるのに、少なくとも公の問題は全くありません。 「しかしやはり」 クラシックは彼ら(黒人)の音楽ではないんです。 クラシック以外の音楽と、日本人の場合を含めて例をあげると、 例:日本人あるいは日系人が、日本以外の外国で活動するとして、フランクシナトラ、トニーベネット、アンディウィリアムス風の歌手にはなれないし、なりたくもないでしょう。 「とにかく合わない。自分にも聴衆にも」。 映画を見ていて、ウィルスミスが車でFMをつけるシーンがあったとします。クラシック、フォーク、カントリー、色々選局したあげく、「ラップ」の局があったとします。そこでのセリフ 「こうこなきゃね」、と頭でリズムをとる。 これは別に社会的問題でもなんでもなく、それが自分だからです。 オバマ大統領が、レーガン大統領の様に振舞う事は物理的には可能ですが(身振り、喋りのイントネーションとジョークの感じ、スマイルのしかた、etc.)彼には全く似合わないし、そうしたくもないでしょう。 さらに、確かに伝統的遺伝的なセンスの違いはあります。(もちろん例外はあります) これも社会的問題ではなく、特性です。オリンピックで陸上選手が黒人の独占状態なのは別に白人が差別されているわけではないです。 この点、日系人は明治政府以来クラシック音楽に全く抵抗が無く、かつ世界のクラシック音楽界の門戸の広さもあって、外国で演奏したり学んだり聞いたりする事が一番精神的に気を使わない分野ですね。ヨーロッパでもそうです。日本人がどこの国の作曲家のクラシックを弾いてもアイデンティティはくずれません。 しかし、純クラシックの「作曲」になると話が別になります。 いかにして自分の(国、民族、ひいては自分自身の)アイデンティティを組み込むかが演奏者よりかなり重要になる場合があります。 ※ ジャズの話ですが、現在のジャズはすでに黒人音楽のルーツ、を離れて実験的フュージョン化しており、あらゆる素材のあらゆる要素を取り入れる分野になっていて、ジャズの学校でも黒人学生の方が少ない、といった現象がおきています。この点、ジャズも大変門戸の広い音楽分野となっています。 私のお会いしたバークリー音楽院の日本人教授は、沖縄音楽を取り入れた作品を発表していましたし、学生もヨーロッパ白人や日本人が多数います。
へぇ~~って思いつつ、
学校の音楽会観ながら
途上国、
やっぱり基礎教育(日本で言う義務教育)すら
受けられん子がまだまだ多数。
こうやって学校に通えるだけ
子供にとっては大事なことやねぇって
マジメに真剣に思いつつ、
も、、、
親的に、、、
2週間バカンス
長すぎやろ。
(;´ρ`)
って声を大にして言いたく、
これから2週間の修行がんばろ、、、、
日本語教育、、、、
って思った、
@軟禁途上国。
(@_@;)ナガイナガイナガイナガイナガイィイイ~



