エルヴィス・イン・ハワイ / (1973年)  収録
 邦題「マイ・ウェイ」  クロード・フランソワ、ジル・ティボー、ジャック・ルヴォー、(ポール・アンカ)


 67年にフランスのシンガー・ソングライター、クロード・フランソワがジル・ティボーと作詞し、
 ジャック・ルヴォーが作曲したシャンソンをポール・アンカがフランスを訪れた際に耳にしてと
 ても気に入った。

 68年末に、フランク・シナトラが引退するといううわさがマスコミに賑わせたころ、ポール・アン
 カはシナトラをイメージしてこの英詞を書いている。
 69年にシナトラはシングルでこのナンバーをリリースし、HOT100で27位を記録。
 ロング・セラーとなり、世界中で新たなスタンダード作品として注目された。
 もちろん、ポール・アンカもレコードにしている。

 しかし何と言ってもエルヴィスの「マイ・ウェイ」が最高で、ストレートに歌い上げるその唱法か
 らは、エルヴィスの人生やその魂といった深いものすら感じ取れるのである。彼の死後、77年
 のライブ・バージョンがシングルとしてリリースされ、147曲目のチャート・イン・ナンバーとなる。
 HOT100で22位、カントリー・チャートで2位を記録。 (越谷政義)




    Elvis Presley - My Way  (Aloha From Hawaii Conceat, 14 January 1973)



  ■ マイ・ウェイ

  そして今や終焉の時は来た
  そこで私は終幕に向かっている
  友よ、はっきり云おう
  私が生涯を通して存分に生きてきたこの人生を
  確信を持って云える私の生き方を表明しよう
  私は全ての道、全ての小さな道を旅した
  いやそれ以上に、そのこと以上に
  私は自分らしくその事をやったということだ

  惜しむべきかな!得しものはわずかなり
  しかもなお明記するにはあまりにもわずか
  だが私は己れがなすべき事はなして来たのだ
  ひいき眼でなくその事実を見てくれ給え
  私はすべて自己の行く道を計画し
  小さなわき道までも注意深く歩いて来た
  いやそんなことよりも、なによりも私は
  それを自分の生き方で通したのだ

  たしかに君も知ってのとおり
  時には私の知恵の及ばぬこともあった
  しかし迷いが生じた時も私は
  それを飲み込み、吐き出してきた
  全ての物事に面と立ち向かって
  自分の生き方を通して来たのだ

  私は愛し、笑い、泣きもした
  己れを満たし、悲しみを分かつ相手もいた
  そして今は涙が引くごとに
  過ぎし事の全てが
  楽しかったと思えるのだ
  そして云わして貰うなら、いや決して遠慮など
  いや、ボクは遠慮などしちゃいないよ
  実際私はそう生きて来たのだ

  して人間とは何か?彼が得たものは何か?
  もし己に忠実でないなら彼は無に等しい
  世間が啓示する言葉ではなく
  己れの感ずるままに語れ
  私の実際の記録を見るなら
  人はこれを大口たたきだと云うだろうが
  私はたしかに自分の生き方でやって来たのだ
  現実は私の誇張だというだろうが
  しかし私は自分に忠実に生きてきたのだ

                     訳 : 湯川れい子
 



     Frank Sinatra - My Way   (Live At Madison Square Garden 1974) 



     Paul Anka - My Way   (Live At New Haven 1984)

  
  アロハ・フロム・ハワイ デラックス・エディション (DVD)

  エルヴィス・プレスリーが1973年1月14日に、ハワイ・ホノルルの
  インターナショナル・センターで行った伝説のコンサートを収録した作品。 
  当時は報道番組のみ使用が可能であった人工衛星を使い、世界36ヶ国
  に衛星中継され、15億人が観たといわれている。
  日本でも視聴率37.8%という驚異的な数字を記録した。



  
 ELVIS Aloha From Hawaii Via SATELLITE

 
     ELVIS PRESLEY ALOHA FROM HAWAII
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