ヘルプ!/ アイム・ダウン / (1965年)  収録   シングル
 ヘルプ! / (1965年)    収録
 邦題「ヘルプ!」  レノン / マッカートニー  作

 2作目の主演映画「ヘルプ! 4人はアイドル」の主題歌として先行シングル発売され、1位を
 記録した。 バハマとアルプスでのロケを終え、イギリスでの撮影も半分ほど済んだ1965年 
 4月にようやく映画タイトルが決定し、急遽ジョンが書いた。
  
 





 ■ ヘルプ

 ヘルプ! 誰か助けて
 ヘルプ! 誰でもいいってわけじゃないけど
 ヘルプ! 誰か助けがいるんだ
 ヘルプ!

 僕が若かったころ
 今よりずっと若かったころは
 人の力を借りたいなんて全然思わなかった
 だけど それも今じゃ昔のこと
 自信がぐらついてきたのさ
 それで 考えを変えて
 心の扉を開いたんだ

 できれば僕を助けてくれ
 気が滅入ってしょうがない
 そばにいてくれるだけで感謝するよ
 立ちなおる手助けをしてほしい
 どうかお願いだから 僕を助けて

 僕の生活もいろんな意味ですっかり変わった
 あのころの独立心はどこかへ消えちゃった
 ときどき ひどく不安になるのさ
 僕には君が必要なんだ
 今になって気づいたよ

 できれば僕を助けてくれ
 気が滅入ってしょうがない
 そばにいてくれるだけで感謝するよ
 立ちなおる手助けをしてほしい
 どうかお願いだから 僕を助けて

           訳 : 内田久美子




  
  ビートルズ : 赤盤ドキュメンタリー
   by (Phil Sutcliffe, Billy Harry, Peter Doggett, Nick Tauber)



 追いかけられているような 焦燥感のある曲調なのに
 ポップソングらしさも兼ね備えている
 初期のビートルズ作品の中では異色だが
 若いファンらも受け入れられた
  by (Phil Sutcliffe)

 この曲を初めて聴いた時 複雑なメロディに度肝を抜かれたよ
 “聴けば聴くほど好きになるな” と思った
  by (Bill Harry)

 “ヘルプ!” はジョンがアイディアを出した曲だ
 監督のリチャード・レスターは
 同名の映画用の曲を早急に求めていた
 撮影がほぼ終わった頃
 リチャードは ビートルズ4人と曲をどのように映画で使う予定か話し合ったそうだ
 そして映画の主旨に合う曲を すぐに書くよう頼んだ

 すると彼らは24時間以内に “ヘルプ!” を完成させて持ってきたんだ
 すざましい集中力だった
 そして必要に迫られたら 文句を言わずにやるプロ根性があった
 まずジョンがメインで書いて
 ポールの助けを得ながら 2人で完成させた

 後でジョンは私に説明してくれた
 緊急に曲を求められたことへの焦燥感を
 そのまま曲にしたんだってね
 “今 ほしいものは?”
 “ヘルプだ!” ってね
 とても単純な流れだけど
 それが創作意欲を かきたてたんだ
  by (Phil Sutcliffe)

 あの頃のジョンは
 すごく ボブ・ディランの影響を受けていた
 そして彼は初めて
 “ヘルプ!” のように
 自己の内面を深く見つめた曲を
 書くようになったんだ
  by (Bill Harry)

  ジョンの声が運ぶ ストレートなメッセージが
 突き刺さってくる曲だ
 自分の弱さを自覚し助けを求めるという
 リヴァプールの男には難しいことを
 彼はやってのけた

 それが曲に説得力を持たせたんだ
 あの曲で彼らは突然
 多音節語を使用しだした
 難しい学術用語なんかじゃないけど
 彼らが それまで使ってこなかった言葉だ

 消えそうな自立心のことを歌っているところなんて
 全然ポップソングらしくない
 この曲のアイディアや 言葉の選び方は
 それまでのものと明らかに違っていた
 別に若いファンを失望させたり
 私たちを困らせたかったわけじゃない
 バンドを続けていく中で
 自然に 芽生える感情が
 徐々に歌詞に変化をもたらすようになったんだ
  by (Phil Sutcliffe)

 “ヘルプ!” で ビートルズの 第1章が幕を閉じた
 すぐ後にライヴ活動を完全にやめたしね
 その頃までに3枚のオリジナルアルバムと
 サウンドトラック2枚を制作した
 すぐに伝説の存在になっていたよ
  by (Nick Tauber)



  
    THE BEATLES  HELP!
  
  
     THE BEATLES / 1962 - 1966

  
    THE BEATLES      HELP! (DVD)
 

 
 1965年、ビートルズはポップミュージック史上最大規模の欧米ツアーを成功させ、
 世界中に未曾有のビートルズマニア現象をもたらした。
 そのとてつもない成功は国家権力をも巻きこみ、イギリス政府はビートルズにMBE勲章を
 授与した。 1965年10月26日に英国王室から贈られています。
 この年のビートルズは「4人はアイドル」「ラバー・ソウル」という2枚のアルバム制作を通じて
 音楽的にもめざましい飛躍を遂げていたのだ。


  
  外貨獲得に多大な貢献をしたという理由でMBE勲章授与
  
 


    The Beatles at Shea Stadium

 
 1965年8月15日 ニューヨークのシェイ・スタジアムで開催された史上初の野球場コンサート。
 前年に続く第2回目のビートルズの北米ツアーの初日は、それまで経験したことのない初め
 ての野球場でのコンサートだった。

 ビートルズは客席を埋め尽くしたファンを大興奮させたが、当時の音響設備では彼らの歌と
 演奏を充分に届けることは不可能だった。
 ライブバンドとしてのビートルズは方向転換を余儀なくされ、ミュージシャンとしての新しい挑
 戦を本格化させることになった。

 この公演がきっかけで大規模なPAシステム開発が進み、やがて現在のスタジアム公演の
 隆盛につながっていった。
 (広田寛治)



  エピソード 
 ジョンとポールは2人とも天才で とてもクリエイティブな人間だ
 だが 2人の創作活動の源は全く異なっていた

 ジョンの場合 最初の頃は
 アルコールの力で創作意欲を何とか かきたてていた
 次にプロルトンなどの錠剤に頼り
 その後は
 マハリシ・マへーシュ・ヨーギーの神秘主義に助けを求めた
 その後は原初療法を試し
 LSD にも手を出し模索はずっと続いた

 ポールは気分よく曲を書いていたけど
 ジョンはいつも もがいていたんだ
 それは彼の作品を見てもわかる
 ジョンは徐々に
 “コールド・ターキー” のような
 攻撃的な曲を作るようになっていった
 
 ポールがロマンチックな傑作を作る一方でね
  by (Billy harry)