人を亡くした悲しみは、時間の経過が癒してくれるものと信じたい。しかし、身近な人であればあるほど、あるいは付き合いが深かった人であればあるほど、そう簡単には悲しみが癒えるものではないようです。
このブログで何度か採り上げさせていただいたことのある、香川県の三豊市 ( みとよし ) は、平成の大合併による7つの町の合併により平成18年に発足しました。激烈な選挙戦の末、初代市長に就任されたのは合併前の詫間町長を4期務められた横山忠始氏でした。
ともすれば合併によって生じがちな旧町同士の確執も、旧町それぞれに支所を置き、7つの 「 まちづくり推進隊 」 を住民主体での設立に導くなどの手法により、反目するのではなくお互いが切磋琢磨する関係を構築。従来の住民サイドが行政に委ねるスタイル、いわゆる 「 アウトソーシング 」 を逆転させて、行政から住民へのアウトソーシングへの発想の転換を図ることに尽力されました。
横山市長は、 「 市民力によるまちづくり 」 を提唱し 「 強くやさしく楽しい三豊 」 の実現を目指して改革を進めて来られました。
改革と言っても決して激しいものではなく、温暖な讃岐の地域性とシンクロしたかのように穏やかな改革。しかし、温厚な人柄に秘められた強い信念のもとに、市長就任以来およそ12年間にわたって着々と進められました。
「 三豊には誇れるものなんて何もない 」 という市民に対して、浦島伝説発祥の地ともいわれる瀬戸内に面した温暖な気候・風土、素晴らしい風景、そして何よりも温和な住民同士のつながり等々、 「 誇れるもの 」 は身近に豊富にあるではないかと提示して、根気よく意識改革を続けて来られました。
三豊市民の意識は徐々に変わりました。
「 少子高齢化社会 」 が予想どおり、あるいは予想以上に進み 「 地方消失の危機 」 さえ叫ばれる日本において、一地方都市である三豊市も先細りは避けがたい事実。
それを避けるには、三豊市に人を呼び込むことである。まずは三豊市の存在を市外、そして県外へアピールすることが必要だが、県外では 「 三豊 」 を 「 みとよ 」 と読めない人が多いことに気づき、 「 知名度向上 」 を図ることが大切であると考えられました。そのためには情報発信力の強化を重視され、公式サイトなどウエブサイトの充実に力を注がれました。担当する企画職員などの能力を引き出し、経験させて自信を持たせることにより市の職員の意識改革も行なわれました。それが広報紙の全国ランキング・トップの常連となるなどの成果につながりました。
それまでは市民には当たり前だった 「 父母ケ浜 ( ちちぶがはま ) の夕景 」 が 「 インスタ映え 」 の時流に乗る形でTVでも採り上げられるところとなり、全国的に知名度がアップ、県外からも多くの人が訪れることに繋がりました。
【 インスタ映えする父母ケ浜の写真例 】

1期目の4年間を地ならしに費やし、2期目に種を蒔き、3期目に待望の実りの秋を迎えて収穫。横山市長の功績は大きいと思います。
ところが、この横山市長が2か月足らず前の11月3日に急逝されたのです。
今年満69歳を迎えたばかりの横山市長の継続を多くの市民も願っていたと思われますが、4期目は出馬しないと9月議会で宣言されていました。たとえ三豊市のトップから退かれるとしても、まだまだ別の立場でのご活躍を期待していましたから、永眠されたとの連絡を受けたときは、あまりにも突然のことで俄かには信じられず、というより 「 信じたくない 」 という気持ちから、私の中で受け入れがたい出来事として無力感を味わうことになりました。
【 最下段に三豊市議会での横山市長不出馬表明答弁映像 】
身近な人を失ったときに感じる 「 ○○ロス 」
2か月以上経った現在に至るまで、生前のお姿や穏やかだが信念が感じられる語り口などが浮かばない日は一日としてなく、いわゆる 「 横山市長ロス 」 をいまだに引きずっています。
4月に父を失った私ですが、92歳の天寿を全うした父との別れも辛いものでしたが、私にとって今年最大の 「 ロス 」 は何といっても 「 横山市長ロス 」 だと言えそうです。
就任以来3期12年、1年365日24時間をプライベートを犠牲にして全力で三豊市のために尽くして来られた横山市長には、見た目以上に消耗されていて、すでに病魔と闘うパワーが残されていなかったのかな?と考えると残念で悔しくてなりません。
横山市長の死去に伴い、来年1月の予定を繰り上げて12月24日に行われた市長選で後継の市長が決まりました。今は、愛する三豊市の行く末を、雲の上から、いや、三豊市の名所のひとつである 「 紫雲出山 ( しうでやま ) 」 の頂きに腰を下ろして、眼下に広がる讃岐平野を、三豊市内を眺めて、見守っておられるのかもしれませんね。
★ ★ ★
▼ 昨年秋に開催された瀬戸内国際芸術祭の粟島会場にて撮影した写真。横山市長の隣の女性は 「 漂流郵便局 」 の作者 の久保田沙那さんです。

▼ 横山忠始著 「 地域内分権で地方消滅を跳ね返せ! 」 ( ぎょうせい ) https://shop.gyosei.jp/index.php/products/detail/9212
昨年お会いしたときに頂いたものですが、遺作となってしまいました。
▼ 三豊市映像配信
http://www.mitoyo-city.stream.jfit.co.jp/?tpl=play_vod&inquiry_id=102
亡くなるわずか2か月前の三豊市の9月議会において、議員からの質問に対する答弁の形で12年間の総括と退任を表明 したときの動画です。( 7分経過頃から約7分半 )
「 市長の適正期限は3期12年との思いが強い。ここまで誰にも話すことなく、精いっぱいの努力を続けてきたが、今期で市長職を退任させていただきたい。どんな懇意な友達よりも、どんなにお世話になった人よりも、三豊市の将来を最優先で選択する。そんな私利私欲のない、三豊市に熱い思いと深い愛情を持ったリーダーが引き継いでくれることを切望する 」
心残りもあることでしょうが、後は後継の市長に任せて、どうかゆっくりお休みください。 心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。
