2020年から続くコロナ禍で、

なかなか新しい出逢いが減ってしまっている昨今。

 

しかし有難いことにそれでも最近は

「逢いましょうよ」とフットワーク軽く

声を掛け合えるまでにはなってきました。

 

そんなこんなで最近は「知っている人」が

また少し増えたなと思いますので、

ちょっと前田の歴史を振り返っておきます。


パーソナルトレーナーの前田って言われても

実態が掴みにくいでしょうからね。

 

前田はこんなヤツ!お暇なときにどうぞ~。

 

小学生時代

あまり覚えていない。

ただ目立ちたがり屋だったことは確かで、

背の順は後ろの方だけど

何かと前に出ていたような気がする。

 

 

中学生時代

陸上競技部への入部

とりあえず小学校で一番脚が速かった

という理由だけで中学陸上部に入部。

結果として高校はスポーツ推薦で

するりと進学することになる。

 

未だに陸上選手を指導しているのだから

思えば長いこと関わっていることになる。

 

生徒会副会長

会長はしたくないけど、

副会長をしてええ塩梅で

目立ちたいと思い立候補。

 

問題なく当選。

 

面白くなくて仕方なかった

生徒総会のシステムを一新したり、

文化祭の司会でやりたい放題盛り上げたりと、

違和感に遠慮なく切り込む能力と、

人前でハッタリをかます能力の土壌は

この時に養った。

 

 

高校生時代

スポーツの強い商業高校への進学

スポーツ推薦ということで、

家から一番近くて

県で一番陸上競技が強い

商業高校からお声がけ頂き、

するりと入学。

 

自分で言うのも何だが、

進学校に行くつもりで勉強していたので

相当偏差値を下げての進学。

 

つまり勉強は何も困らないという

ある種の無双状態で部活に専念。

 

結果として県大会で優勝したり

国体に出場したりと

相当良い経験をさせて頂いた。

 

更には簿記やパソコンの知識が身に付いたので、

今独立して働いていても

確定申告等で困ることはほぼない。

 

成績は優秀で学年3番が

デフォルトだったので(調子乗りすぎ)、

指定校推薦で進める学校の

上から3番目ぐらいの大学にスッと進めた。

 

 

大学生時代

スポーツサイエンスを専攻出来たことは

間違いなく今の仕事に生きている。

しかも自分自身が競技者として

色々試す事が出来るという最高の環境。

 

目標とする水準に到達できたとは言えないが、

関西大会で決勝に残ったり

全国大会で準決勝に進んだりと、

それなりの成績で競技生活を終える事が出来た。

 

ちなみに大学でも成績は

相当優秀で(調子に乗るな)、

コースでは「断トツのトップ成績(担当教授談)」

だったとのことで、

そう言えば奨学金が給付された。

今もう一度あの20万円が欲しい。

 

フィットネスクラブ社員

入社の経緯

運動指導の仕事がしたいと思っていた。

競技スポーツが専門だったので

スポーツコーチになることを目指していたが、

あまりにも狭き門であることに絶望する(大げさ)。

 

ただ、ここまで振り返ってきたように

陽キャ全開なので、

せっかくなら何か

ちょっと違う分野を経験してみようと、

絶望したとは思えぬ光のごとき切り替えの速さで、

フィットネスクラブへの就職を目指し就活。

あれよあれよと内定が出た企業に即決。

これは速く就活を終わらせて

部活に専念したいという想いがそうさせた。

 

指導者としてのデビュー

いざ入社。

会社のお金で資格を取らせてもらえるわ、

会社の金で呑みに連れて行ってもらえるわ

(かなりの回数と金額かと)、

なかなかいい想いをした。

 

そしてフィットネスクラブスタッフの

研修システムが形骸化していたことを突き、

スタッフ研修の業務を請け負うことになる。

このことにより強制的に

色々勉強することになったのはまさに幸い。

 

もちろん給料を頂きながら

運動指導をするという仕事は

入社の時点がデビューということになる。

それまでなかった有料パーソナルプログラムを

導入するなど、

入社1年目から自由に仕事をさせて頂いた。

 

新店舗立ち上げ

これはなかなか普通出来ない経験。
新店舗の立ち上げメンバーに選出して頂き、
(名ばかり)チーフトレーナーとして
仕事をするようになる。
この時店舗の経理だったり
設備管理に関わるようになって、
世の中色んなことがあるのだなと思ったもの。
プールや風呂の管理があれほど大変とは……。
 

またあまり好きではなかったが

スタジオレッスンインストラクターとしての

仕事ができたことは、

運動指導者としてのスキルを高めることに寄与した。

ちなみに結構人気のインストラクターだったので

(自分で言うな)

最後のレッスンではお花やお酒を沢山いただいた。

感謝。

 

THE会社員として

何より会社員という経験が大きかった。

とりあえず参加する会議、

何だか理不尽なクレーム対応、

(名目上)責任者だからと

降ってくるありとあらゆる業務、

やる気のない(様に見えていた)

先輩や上司たちとの

静かな(?)闘いといった

マンガに出来そうな経験は財産。

 

先述したように研修業務を担当したり、

普段から学生スタッフを育成したりと、

多岐に渡る経験も全て財産。

 

まるで昼ドラのように人間関係が

様変わりしていくのを目の当たりにしたのも財産。

 

ちなみに会社のお金で取りに行った

資格講習会で出逢ったトレーナーさんには、

今でも懇意にして頂いている。

当時からよく呑みの席でご一緒する。

 

この会社でなければ今の形で

独立して仕事をしている

ということはないだろう。

 

独立

スポーツを中心にずっと生きてきて、

陽キャ全開のハッタリをかませるヤツ。

経理処理も一通りできるし、

なんだか色々経験した過去。

 

まぁそれなりにバイタリティはあるわなと。

多分独立しても大丈夫だろうと、

根拠のない自信から用意周到でもなく独立。

 

パーソナルトレーナーなんて

ふわふわした仕事なのに、

思ったよりも順調に

売上が上がったことにビビる。

そして思ったより毎月出ていく

お金がデカくてビビる日々。

ホンマに簿記やってたんかよ。

 

今思えばむしろ会社員として

働いていたことが奇跡。

こんな私を雇用して頂いて

本当にありがとうございました。

 

そして何よりこんなクセの強い

私のもとへ来て下さる

お客様や選手がおられることに

感謝申し上げます。

 

また同業の方でも私と絡みつつ

仕事をしていきたいと

思って頂いている皆様がおられるから、

今も何とかやっております。

 

独立とは独りで立つと書くわけですが、

決して一人ではなく過去から現在までにかけて

本当に沢山の人の支えがあってのことです。

 

 

時には回顧録のように

さて、何の記事だったかしら?

そうそう、美談のみを並べる自己紹介でした。

トータルしてこれまでの選択の

全てがよかったと思います。

 

そしてまだまだ道半ば。

これからの方が面白い話が沢山あるでしょう。

 

さてこちらには失敗談は載せていません。

いずれ気が向いたら人様の

迷惑にならない程度の内容で載せます。

 

 

↑人生論なんて語れるわけないけど

とりあえず最近読み始めた本。

本文とは関係ない。