「まさか、だって平和じゃないですか」
「表向きはね。ですが、領土、領空、領海、どれももう危うい。一触即発とまではいっていませんが、じわじわと包囲網が敷かれています。綿密に計算された洗脳工作も順調に進んでいます。それから通信分野も相当なダメージを受けているので個人情報は筒抜け。このままでは我が国は主権国家ではなくなるでしょう。政府には既にスパイが大量に入り込んでいますから、大きなことは出来なくなっています。敵にとって都合の悪い動きを見せたら、消されます」
「なんでそんなこと、みんな知らないでしょう」
「そう、メディアが抑え込まれていますからね。まともな情報は流れていません。しかし我が国を守りたいと願う同志が多くいることも事実。ただ動きが取りにくくなっているのです。そこで同志と秘密結社を作り、その本部が民間企業の体を成しているあるところに作られたのです」
……とまぁこんな具合に、ジムに入会したものの実はそこが国防の最前線であった、ということが、
というオリジナルネット小説の第一章「運を動かす」で描かれています。
しかしこれはフィクションなのでしょうか?
現代の日本はまさにこのような状況に陥っていると言っても過言ではありません。
この危機的とも言える状況に対して警鐘を鳴らし続けている方もたくさんおられるわけですが、やはりマスメディアではそれは流れませんね。
これは構造上の問題ですから、誰か特定の個人を責めても仕方のないことです。
ですが構造を作っているのはまさしく個人ですから、個人個人が変わっていかねばならないのです。
「テレビで言っている」というのはその真偽の如何に関わらず「テレビで言っている」だけの話で、「〇〇さんが言っている」というのも「〇〇さんが言っている」だけなのです。
そしてそうやって「テレビ」だったり「〇〇さん」だったりに傾倒いくことで思考は狭まっていきます。
やがては思考停止でしょう。
そうなってしまうと、抜粋した台詞のやり取りのような"事実"に背を向けてしまいますので、別の意見だったり価値観だったりを拒絶することになります。
ですから警鐘を鳴らしてもそれは届かない……。
ならばどの様な手法で警鐘を鳴らすべきだろうか?
その答えとして浮かんだのが、小説を著わすことであったのです。
別にこの作品を読んだところで何か大きく価値観が変わるなんてことはないかもしれませんが、「こういう考えがあるんだなぁ」というぐらいには思って頂ければ世の中の見方が変わるのかも知れません。
ただ自己満足を満たす為に書いたと言ってしまえばそれまでですが、自分なりに意義のあることではあるのかなと考えています。