大阪でパーソナルトレーナーをしております前田です。
こちらのブログでは、私が主宰しているオンラインサロンの情報や、その他活動内容をシェアしたり、書籍紹介を行っておりますが、恐らくもっとも私の思想が現れるシリーズと成り得るのが、こちらの「危険かもしれない」です。
これまですでに2部アップしておりますので、まだお読みでない方は是非お読みください。
日本語が伝わらない人たち
ここ最近、どうも日本語が伝わりにくいなと感じます。
それは別に海外で生活しているわけではないのに……です。
かと言って英語にすれば伝わるのかと言えばそうでもないのでしょう。
恐らく、言葉(それは母国語が日本語である私たちにとってはまずは日本語)を感じ取る能力が低下している人が多いからなのではないかと推察しています。
もちろんそれは私にも言えることかも知れませんが、恐らく言語教育というか日本人が日本語に触れる時間が著しく少なくなっていることに起因しているような気がしてなりません。
辞書や本を開かない人たち
辞書に載っている言葉なんて本当に知らない言葉だらけですし、実は誤って使用していた言葉だって珍しくありません。
だから辞書と言うのは面白いのですが、恐らくご自宅に国語辞典が置いてある人は稀でしょう。
更に言うと、読書をする人がどれくらいいるでしょうか?
多読が良いとも思いませんが、そう言えば最近本なんて読んでないという人は多いはずですし、そう言った方はもちろん新聞も読んでいないでしょう。(ただ新聞は私も購読はしていません。これは理由がありますがそれはまた別の機会に)
溢れかえるインスタントな言葉たち
すると、触れる言葉というのはこちらのブログの様な媒体か、ネットニュース、SNSと言ったものに限られてきます。
そこに流れている言葉というのは非常に簡素なものです。
それはインターネットやSNSといった世界がインスタントなものであって、速度が非常に重要視されるから当然のことなのです。
そしてとても便利です。
しかし、そんなものばかりに触れているとインスタントでただ速く流れるだけの言葉しか頭に入ってこないという状況が起こります。
紡がれた言葉の背景には何があるのだろうか?
発信者のバックグラウンドはどういったものなのだろうか?
何故その様な言い回しになるのだろうか?
その発言の真意はどこにあるのだろうか?
そんなことを考えない頭になっている人が多いような気がします。
結論ありきの文章たち
そして何よりネットやSNSのライティング技術というのは結論ありきで書かれています。
それもそうでないと多くの人に読んでもらえないという事情があってのことですが、やはりこれも同様に多くの人が結論のない(様に見える)、或いは自分でそれを感じ取ることのできない文章や事象に対しての耐性を著しく低下させ、読解力の低下という由々しき事態に繋がっているのだろうと思います。
私たちはある意味では答えがない世界に生きているとも言えるのに、何故それほどまでに結論(答え)ありきのものばかりに手を出すのか?
それは間違いなく、自分で考える力が衰えているからでしょう。
それは本当に危険かもしれないのです。
最後に
例えば古典であったり、俗にいう昔の本なんかを読むと、どうしてこんな素晴らしい文章が書けるのだろうと惚れ惚れします。
現代作家の皆様にも敬意を抱いております。
本屋さんには本当に素晴らしい作品が溢れています。
しかしそれと同時に本屋へ行くと、これはネット記事なのかと見紛う様なものも多数見受けられ、それがそれなりに売れているという事実もあります。
別にその文章を書いている人を否定するわけではありませんし、どんな形であれ書籍化するということは素晴らしいことです。
私も実は一度本を書こうと思って出版社まで作品を持って行ったことがあり、書籍化の直前まで行ったことがあります。
しかし、ちょっと違うなと思って止めました。
これは書籍化する勇気がなかったとも言えます。
でうから本当に本を書いている人は本当に尊敬します。
ただ、もしそういったインスタントな文体でないと売れないような時代になっているとしたら、やはり危険かもしれないですね。
難しい文章ばかり読んでいる人が偉いとも言いませんが、人が食べ物で出来ているように、人は読み物でも作られるのですから、入れるものがあまりにも簡素なものばかりというのは考え物だなと思うのでした。
