春の彼岸も明けました。





 上手く文章にまとめられる自信が無く、アップしようか少し迷っていましたが、3月11日に福島県いわき市へ三回忌法要と「3.11希望の灯り」の点灯式の助法(お手伝い)に行った際の事を書こうと思います。





 3月11日は皆様方それぞれ色々な形で追悼、復興を願って祈りを捧げられた事と思います。





 私は自分の寺で祈ることも出来ましたが、昨秋にいわき市にある「3.11希望の灯り」を分灯してもらい新潟まで徒歩練行をした縁もあり、是非とも三回忌法要は福島県いわき市へ行ってお手伝いをさせて戴きたいと願っておりました。


 そして念願叶い、福島の方から助法依頼が来ていわき市へ行くことが出来ました。




 11日は朝早くから津波が押し寄せた場所へ回向法要をするという事を伺っていましたので前日にいわきへ入りました。





 10日は全国各地で暴風が吹き荒れ、交通機関も相当に乱れていたようです。私も新潟から磐越道を通って福島入りしたのですが、猪苗代湖畔付近から磐梯熱海付近までは外気温マイナス2度、風も強くハンドルをしっかり握ってないと車が何処かへ吹き飛ばされそうでした。





 何とかいわき市へ辿り着き、明日の打ち合わせと顔合わせをして11日を迎えました。





 

実行委員長のひとりごと


11日のいわきは快晴でしたが風が冷たく寒い日でした。





 地元の葬祭センターへ6時45分に集合して二班に分かれてバスで海岸へ向かいました。





 私は1号車で、久之浜、四倉、薄磯、豊間の4か所を回向して来ました。





 

実行委員長のひとりごと


どの箇所も大津波が押し寄せて甚大な被害があった所です。





 新潟の結集で復興祈願法要をした時は新潟から復興の風を送ろう!という事で思いを前面に押し出してやりましたが、被災地に立つと自分の思いは内に潜めて、先ずは亡くなられた方の追悼、鎮魂を祈らずにはいられません。





 合掌してお経を唱えましたが、寒くて指の先が悴んで来ました。


 その指先の冷たさを感じながら、不幸にも津波にさらわれてしまった方はどんなに冷たかっただろう、怖かっただろう、無念だったろうという事を思うと、お経を唱えながら頬に涙が落ちてきます。





 僧侶がお経を唱える時、感情を出して泣くのは不味い事とは思いつつ、気持ちが前面に出てしまう私はそれを抑える事が出来ません。





 なのでブログに書いてよいのか迷いが生じてしまいますが、坊さんも人間なのだという事でご容赦いただければと思いながら書いています。





 海岸での回向法要は薄磯地区にあるいわき信用組合の跡地でも行いました。避難誘導をして津波にさらわれてしまった方への回向です。


 いわき信用組合の人達は昨年の一周忌の際も「祈りのつどい」で一緒にボランティアされていらっしゃいました。


 ここで人が亡くなったのかと思うと言葉では言い表せない気持ちが湧き上がって来ます。


 4か所での海岸回向を終えて薄磯地区にある真言宗智山派の修徳院様へ移動して震災物故者三回忌法要に出仕させていただきました。





 法要に先立ってNPO法人の「昭和みどりいちょうの会」により、いちょうが植えられました。




実行委員長のひとりごと

 写真は薄磯地区の区長さんと共に植樹した際のもの。



 ほとんどのものが津波によって流されしまったこの地域。


 これからこの地域も復興していく中でいちょうが育って復興を見守り続けて欲しいと祈らずにはいられません。








 

実行委員長のひとりごと


写真は復興中の修徳院様。





 三回忌法要は地元の方々、遺族の方々にお集まりいただいて本堂内は溢れんばかりの人が入りました。


 というより本堂に入れなかった方々が沢山いらっしゃって寒い中、外からてを合わせてお参りをされていました。





 ここでは少し落ち着いてお経を唱えることが出来ましたが、涙を流しながらお経を聞いている方々の姿が目に入るとジワリと目蓋に涙が溢れて来ます。


 それでも何とかお経を唱え三回忌法要は無事に終わりました。


〈続く〉