20180304 | ヨネダ設計舎のブログ

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出来事 日常 建築 

20180304


阿部君に案内してもらった宮城県.





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空港を出ると宮城ナンバーの車で阿部君がおむかえに来てくれて、久しぶりの再会.







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阿部君が勤める事務所が関わっている復興住宅地.歩道からはノンステップで各戸にアプローチできる動線.

コミュニティの発生を期待してのデッキたち.






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僕の希望で高蔵寺阿弥陀堂.





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と、隣の佐藤家住宅.



旅のおわり、この千羽鶴のことを思いだす.



三和土と井戸.


やっぱり井戸は北向きの日の当たらないところにあった.







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早期復興の町、女川町.


東利恵さんによるシーパルピア女川で、さんま定食を.


脂がのっていてものすごくうまい.






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仙台まで戻って菅野美術館.






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最後初めて、伊藤豊雄さんの代表作、仙台メディアテークへ.



この日偶然卒業設計日本一決定戦の審査が行われていた.



僕も夜学の二年の時、参加したけれど、現地には来れなかった.



こんな雰囲気だったのか.



黒板の端にある、10年前の忘れ物を見た気持ち.








この日の菅野美術館の企画展は、岡本太郎.




僕自身、太郎からはたくさんの励ましをもらってきた.



終始、太郎が描いたテーマは、



『  命  』





様々な話を聞き、見て、おなじ時間をすごさせてもらった今回の宮城県、福島県.


色々考えて、やりきれない気持ちもわいてくるけれど、今回も岡本太郎に大きな肯定をもらって胸に.












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明日の神話   岡本太郎


原爆が爆発し、世界は混乱するが、人間はその災い、運命を乗り越え未来を切り開いて行く-といった気持ちを表現した.



「キノコ雲も見なかったし

火傷もしなかった.

そして現在、生活をたくましくうち出し

新しい日本の現実を作りあげる情熱と力をもった日本人.

その生きる意志の中にこそ、あの瞬間が爆発しつづけなければならないのだ.」






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(↑7年前に綴ったblogとリンクします.)





生きていかなくちゃね.




僕も.







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余談ですが、つかって5年目のほぼ日手帳の僕の手帳カバーは太郎さんです.