エスノアーキテクチュア | ヨネダ設計舎のブログ

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出来事 日常 建築 


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三重大学 レーモンドホールにて みえ木造塾2016第5回講義がありました.

今回は太田邦夫先生にご登壇いただきました.

太田先生は西洋木造建築から研究を始められ、たくさんの著書を書かれている、木造の博士です.
いわゆる近代建築史が取り上げてこなかった、世界に存在する地域特有の建物、建築の知恵、その背景を研究され、そういった建築を「エスノアーキテクチュア」と名付けられています.

それはその地域の歴史であり、人類の知恵と文化の記憶であるように感じました.

講義の範囲はとても広く、縄文時代にまでさかのぼりました.

世界の民族建築の知恵から、後半は驚異的な縄文尺の発見、遺跡に埋め込まれた幾何学にまで及び、かなりディープな講義でした.

縄文時代からの建築の推移となると建築学の枠内だけでは到底おさまらず、民俗学、風土、時の気象、世界情勢、文化、アフリカで人類が発祥してからの人の流れ、など様々な要素、要因を複合的に広い視野でみていくことになります.

先生は、今このエスノアーキテクチュアを探求していくことは、今現在の社会においてその価値を記録する事であるとのことでした.



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次の日、太田先生を中西塾長と、萩原さんと一緒に伊勢のまちをご案内しました.

太田先生、朗らかで、水木しげる先生のようでした.

たいへん勉強させていただき、ありがとうございました.






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帰ってさっそくご著書 エスノアーキテクチュア を読む.

著書の中の、

「新しい技術が増えれば増えるほど、その分、忘れられていったり継承が難しくなる技術もでてくる.」

との言葉に納得してしまいました.

タイミング的にものすごくジャストで、数日前に僕がこのblogで綴った竪穴住居から田の字プランへの変異の経過、その源流についても詳しく書かれています.

住居の遺構を考察していくと、日本の祖先のルーツ、南方からの流れと、北方からの流れ、また大陸からの流れ、日本におけるそれぞれの地域と近隣諸国との共通性がありありとわかります.

建築や風土を見る時に、現代の定義上の国境線を時に外す必要があること.視野がひろがりました.

もう一つ、興味深かったがのヨーロッパにおいても、日本の古い民家においても、住宅の平面の中に立面を記録させる手法が多数存在していた事です.
それは例えば、単純四角形住居の床面において両出隅から棟持ち柱までを結ぶとそれがそのまま立面になるのです.

理由も納得.

1・その家の記録を後世に継承させるため.
2・住居を建てる際、現場以外に仮組を行う作業場はなかったので、現場の出隅、柱を見印に材を加工しそのまま立て起したため.



さらに、興味深かったこと.

以前、原広司さんの著書 『集落の教え』 を読んだ際、 「建築の究極は知恵の発現である」という言葉にとても納得しました.
それは、その地域の風土、採れる材料、生業を知恵として結晶化させたものが「建築の究極」である、というように当時の僕は解釈をしました.

エスノアーキテクチュアの中で、著者が指摘されるように篠原一男氏の名著の中にでてくる有名な言葉
「民家は茸だ」と端的な表現が日本で好まれる理由もそこに在るように思います.

今もその魅力の事実がよくわかる反面、これは極めて建築学的なある範囲だけの解釈であると同時に、説明がつく事による設計者自身への納得そのものでもあるように感じました.

このことを一考する事になった内容は、

バイエルンにおいては板葺きの屋根が多く、板葺きは石でおさえるためにゆるい勾配の屋根になる.だが板葺きは火災に弱く、当時建築法で防火性がある瓦葺きの規制をかけたが、急勾配の瓦ぶきにするくらいだったら、当時高価だったトタンに色を塗った方がよい、と住民たちが急勾配を拒んだ例や、(材料コストとしては当時瓦の方が安かったにもかかわらず)

インドネシアにあるサダントラジャ族の特徴的な屋根の形は、20世紀に入りオランダによるキリスト教の布教や行政の努力で地域が開け、外部の種族や情報が入ってくるようになったがために、彼らのアイデンティティを誇示する目的でこの大きな反りが発生してきたこと、などです.



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これは素材や風土の素直な判断だけでは説明のつかないことです.

そこには人の気持ち、と選択性が確かに存在しています.




包括的に考えた時、ある種の矛盾をはらむことを認めること.

だけれども、それは投げやりな姿勢ではなく、何か一つにとらわれることなく主観者として魅力を感じた結果生まれた解答であること.

このことを教わった気がします.




僕は最近よく、身体が直感でわかる空間をつくりたいんだと考えています.

だから、設計において歴史であるとか、ルーツであるとか、建築学的な理屈をつけて、つくるものに対して意味を持たせる事を主眼には置きません.

エスノの息吹を観察する眼を持つことと、それらをそっと潜ませるという態度でいたいと思います.

でも、1万年続いた縄文時代の記憶は、DNAの中にあるような予感がします.

それは哺乳動物である人間が、丸い空間に胎内回帰の安らぎを覚えるのと同義のような気がしています・・・.

数か月前に静岡の登呂遺跡を見に行った際、博物館に展示してあった弥生土器の素朴さにとても惹かれた事を思い出しました.




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今まで興味の対象だった様々なこと、それぞれの点が鎖のようにつながってきた実感があります.


なんというか・・・興味津々です.好奇心がとまりません.








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米田雅樹 三重県 建築設計事務所