「工場制労働の隆興と時間概念の変化に伴うヒューマニティの変容『ルラルさんのだいくしごと』を読んで」

 我々の銀河系から遥か離れた宇宙の最遠部においては時間の感覚すら地球と異なるのだという。「24時間タタカエマスカ?」と時任三郎が日本人へ問うた狂乱のバブル期でさえ、自然全体で見ると時とは相対的であった。本書「ルラルさんのだいくしごと」において作者が批判的に論じたのも、そういった時間の概念をあまりにも絶対的なものとして解釈し、無批判に隷属する現代の精神性である。主人公ルラルさんは禿頭の老人であり、日曜大工を日々の慰めとしている。雨露滴る東屋にて、人ならざるものを伴侶として生きる彼は、屋根の修理中にハシゴを落とす過誤を起こす。彼の眷属に助けを求めるも、それらにとってハシゴは一時の手遊びの具に過ぎず、それは持ち去られてしまう。ルラル氏はその日の予定を想起し、途方に暮れ、ふと、自らを覆う蒼穹に目を遣った。氏は次第に泰然とうごめくこの地球に包まれゆく。彼我の境目が消え、時の息吹に抱かれた夕べ、眷属たちもまた大地を巡り帰還し、1日という時間が終わった。あくせくした時をより相対的に捉え返すという体験を通し、近代化を批判した作者の意匠は細部にも宿る。氏が二次産業的な労働に日曜まで従事しているという様は産業革命期のイギリスにおける労働と、その労働を管理するツールとして教育され誕生した「近代的時間」の概念を意識したものに他ならない。動物たちがハシゴを汽車になぞらえて遊ぶ様も、当然、同時期の蒸気機関の発明とパラレルな構造を成すものである。また、作者の独自性は一見不要である動物の登場や、氏の禿頭にも凝らされている。戦後「エコノミックアニマル」と評された我々日本人へ向けられた現代版ポストモダン宣言だ。トルストイはかつて「書かざるべきものだけを書くべき」と唱えた。一見平板な絵と最小限の文章の中に、これだけの寸鉄を込めた作者の精神性に感服であろう。(本文771文字)