おはようございます☀
デイサービスのアイドルを目指す
まえぽんです♪
以前の記事で
政治と宗教について触れましたが、
その続きを書こうと思います。
私が創価学会に入会した時のことです。
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以前のお話はこちら
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私は
幼い頃に母と大阪で入会しました。
その背景には…
私が視覚障害を持って生まれてきたことを知り、私たちの幸せを願ってくれた親戚の存在がありました。
私の両親は兄弟が多いので従兄弟はたくさんいるのですが、障害を持って生まれて来たのは私だけだったのです。
この方達が紹介者となり私と母は創価学会に入会しました。
私が生まれた頃から、母は大阪に住む姉や義弟から創価学会の話を聞き、折伏
(しゃくふく)を受けていました。
今でこそ、対話の重要性が語られていますが、それ以前(昭和40年代)の頃は
〝首から上の病は法華誹謗の業病〟などと言われて憤慨したと、当時の事を母は振り返っていました。
それでも自分達の幸せを願い、根気強くこの信心を勧めてくれた熱意に心を動かされて、夏休みの終わりに私と兄を連れて
母は大阪に向かったのでした。
幸せになれまっせ
と見送られ、
ご本尊を抱えて東京に帰って来ました。
母が真っ先に願ったのは
自分よりも私のことだったそうです。
その念いに気づくまでに
私にはかなりの時間が必要でした。
いつか一人で生きていくその日まで
母の翼の中に守られていたことに気づいたのは大人になってからの事でした。
はっきりとお伝えしますが
私は
〝宗教二世〟
ではありません。
親から押し付けられたのでもありません。
自分で触れて、関わって見て
この信仰が大切だと感じだから
母から引き継いだのです。
熱心に訪ねてくださる女子部の先輩
身内のように暖かい地区の皆さん
老若男女が座談会に集い合い
日蓮大聖人の御書(ごしょ)を学びながら
触発と語らいの中で、
それぞれの人生に活かしていく…
たとえ東京を離れても
全国どこに行っても
海外に移住したとしても
この繋がりは変わらない。
統監(とうかん)と言う〝会員のアドレス帳〟の様な仕組みがあって
そこには必ずその地域を背負って立つ
志を持った同士がいる…!
創価学会とは
そんなしっかりとした組織なのです。
ここまで読んでくださったあなたに最大の敬意を表して…
私が〝この信心を引き継いで行こう〟と
心に決めたエピソードをひとつ
お話しします。
盲学校高等部の卒業式の2週間前まで
進学か、就職か
私の進路は決まって居ませんでした。
それでも色々な方のお陰で
銀行へ電話交換手として入社できました。
最終的に就職を選んだ事に迷いはありませんでした。
一旦進むべき道を決めたからには〝次の目標〟が見えるまで駆け抜けようと決めた事で腹が決まったからです。
入社して、支店に配属され
ようやく環境に慣れ始めた頃でした。
叔父が大学病院を紹介してくれたのです。
知り合いが、白内障の手術を受けた時に
私が先天性の白内障であることを思い出して気にかけてくれたのでした。
目が悪いのがある意味、当然だと思っていた盲学校に通っていた頃、私にはかかりつけのお医者さんがありませんでした。
自分の目の病気が見つかって以来、眼科には行っていなかったのです。
そんな頃、月に1回行われる座談会に参加したときの事です。
その日、みんなに短冊が配られました。
あと10数年後に迫った
21世紀に
自分はどんな人になっていたいかを記入して保存しようと言うのです。
我が家のことをよく知る支部長さんが、
スピーチの時にこう切り出したのです。
ところで洋子ちゃんは
何歳までに目を治すんだい?
目が悪いのが当たり前の盲学校を卒業して、何とか就職を果たして
仕事も少しずつ慣れてきて
何とかやっていけるなと自信が生まれてきたところです。
見えづらい事をすっかり諦めていた私にとって、支部長の問いかけは
雷に打たれた様な衝撃を感じました。
目を治すだって…?
いつまでに…?
絶句して即答できない私の横で
母も同じ様に固まっていました。
おそらく
私と同じ気持ちだったのだと思います。
すると周囲から
今治すのよね![]()
すぐよね![]()
と、座談会に参加していた周囲の方たちが口々に声をかけてくれたのです。
これは理屈ではなく
自分が主体的に
どうありたいか
願って行動して行きなさい
と、大確信のもとに放たれた慈愛の言葉だったのです。
🌿🌱🍀 🌿🌱🍀 🌿🌱🍀 🌿🌱🍀
お題目をあげるとね
勇気が出るんだよ。
洋子ちゃんは立ち向かおうともしないで
目の病気の事を諦めている。
洋子ちゃんはいつか
大好きな絵を描いて仕事をするよ。
🌿🌱🍀 🌿🌱🍀 🌿🌱🍀 🌿🌱🍀
女子部の先輩に言われた言葉が
フラッシュバックして聞こえてきました。
私の中で
何か弾けた瞬間がありました。
確かに、目が良くなったら嬉しいし
便利だと思う。
そんな表面的なことよりも
みんなは
諦めという目ヤニで固まって開かなくなってしまった私の心の目を
覚まさせてくれたんだと感じたのです。
あの時の事がなかったら
私は小さく凝りが溜まって生きていたと思います。
そして、やがて私は
その女子部の先輩の言葉通りに
デザイン会社に転職をして絵を描く仕事につくことができました。
仕事は離れてしまっても
自分を推してくださる方々の思いを受け止めて、色紙にしたためると言う
すごいことが実現し始めている。
あの時、私の可能性を信じて
言葉を投げかけてくれた女子部の先輩がいてくれたから
あの励ましがあったから
今の私がここにいます。
本当に
感謝の気持ちでいっぱいです![]()
毎日手を合わせるご本尊は
何もおっしゃってくれないけれど
この信心を実践されてきた
池田先生の言葉が
ずっとブレることのない先生の言葉があるから、私は安心してこの道を歩いて行くことができるのです。
それでもまだまだ私は
発展途上の人間です。
自分自身の健康や、家族のこと
職場の人間関係の気がかり
音楽活動のこと
老後の不安もないわけではありません。
ですが
悩みがあっても楽しい
何があっても負けない
学会員の明るく、底力のある生き方が
すり減らない軟骨の様なクッションとなって生き方を支えてくれていると感じるのです。
わけもなく、創価学会が嫌いと言う方。
確かに、私の入会当時の学会はかなり激しめに会員を増やしてきたと思います。
そのイメージが拭いされないと言う方も大勢いらっしゃるでしょう。
ですが
時代の変革とともに
学会も変わってきています。
もう昔のような
貧乏人と病人の集まりではありません。
時代の流れとともに
人の悩みも変わってきています。
だからこそ
宗教には使命がある。
私はそう思っています。
偏見があったとしても、今までとは違う角度から見ていただけたら嬉しいです。
何かにおすがりするのではない
誰かに頼るのでもない
宗教とは
そんな弱虫が扱うものではないのです。
自分の中に眠る無限の力を
自分の中の勇気を取り出すために
私たちは祈るのです。
学会員の誰もが
日々、世界の平和を願っています。
このことだけは
知っていただきたかった。
それだけを伝えたくて
このブログを書きました。
幸せになれまっせ
母は、この言葉を信じて
一生を走り抜きました✨
病気にも負けなかった
経済苦にも負けなかった
追い込まれれば追い込まれるほど
母は笑っていました
そして、何より
創価学会に対して理解をしていなかった父を、最高の味方に変えました。
父の認識を変えたのは
母の生き方だったと思います。
悩ませてくれてありがとう❗️
父も、母も、大阪の親戚も
今は故人となってしまいました。
ですが
私らしく生きたいと思います。
私は、この信心を
母から引き継ぎました。
長文にお付き合いくださり
ありがとうございました。
🍀まえぽん
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