【マイヒストリー5】繊細さをかくして生きてきたけれど その1 | わたしを知る、わたしを愛する、わたしを生きる@京都 二条駅 トランスフォーメション・ゲーム&キネシオロジー

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使命と才能を120%引き出す潜在意識の通訳者

*京都にて講座開催*
あなたも「自分の使命と才能を生きる人」に。
モヤモヤをとりのぞき、自分を使い切って人生の道をまっすぐに進めるようになります。

こんにちは。まえたひろこです。

京都は雨です。
昔から、雨の日が好きです。においとか、音ととか、包まれる感じとか ( ´ ▽ ` )ノ・

さて、今日はそんな自分の感性についてのお話。



● 繊細さをかくして生きてきたけれど






自分で言うのもなんですが、感じやすい人間だと思います。

たとえば悲しい話を聞いていると、人が話しているときのそのエネルギーが伝わってくる。
泣きたくないのに涙がでてくる。
同情しているわけじゃないんですよね。共鳴しちゃう、ほうが近い。


光のまぶしさとか、雨のにおいとか、葉擦れの音とか
五感にやさしい空気が好きです。
絵もね。本当は好きなんです。描けないけれど感じることは好き。


森とか川とか、手間ひまかけた工芸品とか、染めて織られた布
しずかで丁寧な暮らしが好きです。

情報が多すぎたり、音が大きかったりすると
ちょっとしたことで、すぐにパニック気味になる。


そもそも世の中の流れの速さや、
ビジネスなんかでテクニックとして上手に敷かれている「無意識にソチラへ流される仕組み」に
すごくとまどいを感じたりする。




私のこころの中にはこんな子供が住んでいます//(#´∀`//)#



でもね

これって恥ずかしいことだとずっと、ずっと思ってきたのですよ。
現代社会で、戦って生き抜くには繊細であることは「弱い」って。


幸いなのか、不幸なのか。わたしはわりと器用だったんです。
自分の繊細さを無視して、「バリバリやる人」「戦って生きて行ける人」のまねをしてきました。

周りからは「できる人っぽい」とか「あねご肌」なんて言われたときもありました。
それなりに暮らしてきたけど、その生き方って、本質的には自分らしくないのですよ。
とても疲れる (´▽`*) 

本当のことをいえば、週に5日会社で勤めるなんて、神経がすり減る感じがしました。
心のどこかが削られて行く感じ。





そしたら転機がきました。
演奏家・工芸作家・美術作家のたまごたちの進路支援をはじめることになったんです。

ザ・繊細 みたいな子たちの支援… (´▽`*)  まぁ、一部つよーーい子たちもいたけれど…






最初はね、「この繊細な子たちが、世の中で戦って行けるように!『武器』を渡そう!」とやっきになりました。色々な講師を呼んで、お金の講座やマーケティング講座、就職のためのノウハウの講座をしたんです。

学生たちは素直だからね、話を聞いてくれました。
参加率も悪くなかった。アンケートにも「とてもためになった」の声ばかりだった。
雇い主である大学からの評価も良かった。

でもね。しばらくやってみて、違うアプローチが必要だ、と思いました。



その2へ続く