小牧岩倉エコルセンターの研修の翌日は四日市市にある四日市公害と環境未来館にお邪魔しました。

 こちらは四大公害病(水俣病・第二水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそく)発生地として整備すべきだという市民の声を受けて平成27年に四日市環境学習センターを大幅に改修して、四日市ぜんそくの展示を拡大して整備された施設です。


四日市公害と環境未来館

 視察の目的は、過去の公害について現場の声をお聞きし、クリーンパーク北但の適正な運用に資するためであります。


四日市公害と環境未来館

四日市公害と環境未来館


 先ずは四日市ぜんそくについてのVTRを拝見します。

 四日市に大規模な石油コンビナートを中心とした工場群が建築されて大量のばい煙が四日市の空を覆いつくしたこと、そして当時はその煙に大量に含まれる二酸化硫黄の有毒性について理解されたいなかったことが被害を大きくしました。

 特にコンビナートの南にある住宅地ではぜんそくがひどく、夜に発生する激しい咳から、子ども達も含めた住民の方々は寝不足に苦しみ、体力を失い、心臓の負担などから死に至ったり、みずから命を絶つ方が多く発生しました。

 それに対処するために小学校にうがいの施設が作られたり、ガーゼだけのマスクの着用を奨励したり、煙突の高さを変えるなどの対策が行われましたが、科学的な見地から見ても効果は薄く、四日市市は公費を投入して医療費を援助するしかなかったようです。


四日市公害と環境未来館

 語り部の伊藤三男氏からも、その悲惨な状況だけでなく、その後の国と企業群を相手取った訴訟についてもお話を聞くことができました。

 大気汚染の訴訟は当時は困難を極めたそうです。沢山の煙突が林立する中でどの煙が郊外の原因であるのか特定が難しかったからです。

 しかしながら、その難しい裁判に四日市の9名の原告団が立ちあがりました。科学的な分析も行われ二酸化硫黄の有毒性が認められ、疫学的に原因とされるのが6社と認定され、共同不法行為という画期的な判断が下され、原告全面勝訴となったのです。
 
 残念なことに原告団の9人のうち、決心を待たずに2名の方々がなくなられました。

 
四日市公害と環境未来館

 この後、展示されている資料も拝見しましたが、この裁判の方々のおかげで、川崎や尼崎などの大気汚染も解消されました。企業や国が環境対策に向けて積極的な役割を果たすようになったからです。

 四日市市議会も積極的に活動をされていたようです。


 いまでは四日市市は、いまでも日本屈指の重工業の集積地であるにもかかわらず、大気汚染の国の基準を大きく下回る郊外の無い市となっています。この日も気持ちの良い青空が私たちの上に広がっていました。

 私たちもクリーンパーク北但の運営のみならず、経済活動が市民生活を脅かすような公害を起さないように、住民・自治体・国・企業と協力していかねばなりません。