大学の進学率が地方と都会とで格差が開きつつあるというデータが発表され、給付型奨学金の是非について新聞などのメディアで論議されているケースを目にするようになりました。

大学進学率地図化


 こちらが最近まとめられた県別の大学進学率の表です。確かに都会ほど高く田舎ほど低いのは間違いないです。これをどう是正するのかという視点も大事ですが、そもそも大学の進学率はどの程度が適正なのかを考える必要もあると思います。



 私自身は給付型奨学金の創立については基本的には賛成です。ただ、今の現状においておこなわれている議論はすべての大学入学希望者に全額支給すべきという議論がなされているように思われます。現状の厳しい国家財政の中で簡単にできることではありませんし、果たしてすべての大学進学者に支払うのが適切なのか十分な議論と社会的なコンセンサスが必要だと思います。



 そもそも奨学金の趣旨を考えると、まず第一義には国の為に優秀な学生に経済的な障害を取り除いて学ぶ機会を十分に提供するというものだと思います。勿論、所得の低い子どもたちにも教育の機会の平等を保つということも重要です。アメリカなどでは貧困対策として全ての進学希望者に最大で学費の30%程度の奨学金を支給する例もあります。ただ、これもあとで述べますが、勉強をしないと卒業できないアメリカの大学では受給者の卒業率がそうでない人に比べてあまりに低く、卒業出来ないものに支払う必要があるのかという議論がなされているようです。



 大学の進学について私は過剰であるという考えです。大学で中学校や高校の勉強をし直さなければならないなど、かなりの大学で大学の本来の目指すべき姿である、高度な専門的な学問を学んだり、高度な資格を取得できない状態にあるようです。実際に企業が求める人材をこれらの大学が輩出しているのか疑問が残ります。人手不足の現状でも大学からの就職率はバブル前の96.9%を割り込んでおり、高校生の就職率がそれを上回ります。経済界が一部の大学について必要としていない可能性があります。

 そのような状況で、現在880の私立大学、短期大学などに3200億円の経常費補助金が支払われています。就職率が上がらない私立大学は学生を集めることに腐心していますが、どの様な学生を育て、企業や社会に求められる人材を育てるのか方針を変える時期にあるのかもしれません。



 ところが、大学の進学率をさらに高めるべきだという議論の論拠にされているグラフがこの大学進学率の国際比較です。



大学進学率国際比較OECD




 OECDの発表したグラフです。これを見ると日本は先進国では最下位であり、大学進学率が低いと論じられているケースがあります。が、果たして本当でしょうか。実は縦軸の記述に注目してほしいのですが、タイプA型となっています。これは学位を与える大学のことを指します。ここで統計の取り方の国ごとの違いを配慮しないといけません。日本では学位授与型の大学ということで4年制の大学しか数字に入っていません。ところがアメリカではこの区別がないために多くの人数がいる2年生の大学を含みます。ちなみに日本の短大への進学率は27%程度だそうです。これを加えると78%になり全体の6位にまで上がります。

 また、これには留学生が含まれる国もあります。トップのオーストラリアは留学生21.8%になり67%にまで下がります。もっというと各国の進学率には高校からの大学進学だけでなく、就業途中、あるいは定年退職した後の大学進学が盛んであるという面もあり、それらを鑑みると全体の数値はぐっと下がる国が多いと思われます。

 

 ですのでこのグラフを見て日本が極端に進学率が低いと断じることはできないのです。


 そもそも、それぞれの国における大学のありかたとか、運営の仕方、教育の内容が様々ですので比較すること自体に無理があると思います。それぞれの国により奨学金の考え方、仕組みも全く異なります。それぞれ今後考察していきたいと思います。



 日本のような形での大学のとらえ方をしている国は韓国なのかもしれません。偏差値でランキングされ、企業に就職するための肩書き的にとらえられている面です。その韓国でも同じように、大学に行っても就職がないという状況が起こっております。



 すべての人々が大学まで行くことができるという考え方はギリシャに当てはまります。この国の財政状況を考えるとそれに倣っていいのか考えないといけません。スウェーデンが大学まで無料であるということも言われていますが、スウェーデンでは18歳で親の養育義務がなくなるので子どもは自分で自立するという文化の違いがあり、学生が自立して大学生活を送る傾向にあるようです。また、自分の夢の実現のためには大学ではなく、職業訓練学校とか専門学校にいくという選択が当たり前にとられているようで、大学卒業が社会的な肩書の様になっている日本に比べるとずいぶん健全であると思います。また、なによりもスウェーデンは消費税が25%であり、所得や資産課税は日本の倍以上ですから、負担を拒否して同じような給付を行うことはできないことは明白であり、その面での議論を伴うべきです。




 国によって大学の役割であったり、考え方が全く異なります。そして社会の変化に合わせて変えていく必要もあるのです。かつてない人口減少の中で、日本にとって大学のあるべき姿をもう一度考えるべき時なのかもしれません。そのうえで、給付型奨学金が創生されることを願います。

 

 日本の大学生は短大も入れて約300万人とするとその1割に国公立大学の学費程度の50万円を支給すると仮定して1,500億円程度です。医療費や福祉の為に財源が不足する中で、どうねん出するのかも同時に考える必要がありますし、結局、地方の大学進学の最も大きな負担のひとつに下宿代などの仕送りのほうが大変であることを考えると、給付型奨学金が格差縮小につながるとは到底考えられません。




(つづく)