平成26年5月15日午前中にじばさんTAJIMAに御邪魔してきました。それは




『豊岡市新しい地域コミュニティづくり研修会』という豊岡市主催のセミナーがあったからです。






豊岡市新しい地域コミュニティづくり研修会





 豊岡市は他の地域と同じく少子高齢化、人口減少の時代の波に激しく揺られており、今後は市内の多くの地区で限界集落、小規模集落が激増し、地域コミュニティーが担ってきた共助による日役、祭り、除雪、老人会活動、災害対策が単独の区ではできなくなるという非常事態が訪れようとしております。




 それに先手を打って、公民館単位でコミュニティを作り上げようとしているのですが、10年前からこの事業に取り組んでいる島根県の雲南市の事例を学び、スムーズに、かつ効果的に進めるようにするためにこの研修会が開催されました。




 会場には各区の区長さん、社会福祉の関係の方々などが会場に訪れていただき、用意された200席をすべて埋め尽くしてくれました。新しい試みについての関心の高さ、逆に言えば不安も高いということがよくわかりました。




 講演を聞く中で下記の点が心に残りました。




 


 一つ、市からは補助金を改め交付金の支給を行うこと。補助金はひも付きのお金であり、申請、報告にすさまじく手続きが多く、自由裁量もありません。交付金ということでコミュニティ組織が自由な発想で使え、手続きも簡略であることが条件のようです。




 一つ、地域の良いところを探し、伸ばす。事業を行う前に地域の情報を収集するのですが、地域の課題を探し始めると事業をすることが難しくなります。あえてよいところを探すことが大事だそうです。そしてそれを延ばす事業をおこなうのが成功の秘訣のようです。




 一つ、区長会に役員人事に関わってもらう。区長会がやはりもっとも権威があるのでそこに役員人事を担ってもらっているようです。その後の事業の細かいところにはかかわらないようですが、情報の疎通は密にされているような感じのニュアンスでした。




 一つ、できるだけ多くの組織に参加してもらう。とにかく地区内のあらゆる組織に参加してもらうことが必用のようです。事業の幅を広げることもできますし、地域の団結も生まれるようです。








 以上の様にとても参考になりました。ただ私の視点からは「もともとあるべき自治の形をとりもどす作業」と言えるのかもしれないという思いが浮かびました。




 そもそも、政治が生まれたのは、




住民ができるだけそれぞれのできることを行う


      ↓


自治組織を作って個人でできないことを共助によって行う


      ↓


自治組織にできないことを市町村に行ってもらう


      ↓


市町村でできない広域のことを県にやってもらう


      ↓


県にできない国家的な基盤、インフラ整備、サービス、国防などは国に行ってもらう






 これが自治の役割の分担なのです。欧州ではこの考え方は非常にしっかりしていて、道路整備を行う際には市民に設計図の提示、使うタイルの色、形まで提示して、実際のサンプルも出します。その後、市民が投票を行い、市民側から最終決定案を出すという例もあります。




 ところが、日本ではそういう文化がなく、中央集権国家としての性格が強いと思います。いまだ地方分権という必然の流れが本流になる様子が見えないのです。むしろ高度成長時代に官僚が中央集権の度合いを強めていったながれをそのまま維持しようとする動きが活発になっているともいえます。そこで、私たちも本来はできることはやるということを習慣から失ってしまったのもしれません。




 地域コミュニティの広域化を機会にできることは私たちが行い、もっと市がやるべきことを市に行わせ、県は市の、国は県のやるべきところに介入しないような本来の仕組み作りをするべき時なのかもしれません。




 市議会議員になって半年ですが、国や県はもっと市に権限と財源を渡してもらったほうが、市民サービスやインフラ整備はもっと良くなると思うことに幾つか突き当っております。大変な事業ですが地方分権の大事なステップになるのかもしれません。