天皇の出自 | 一国民からの発信

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政治を国民の手に取り戻そう。


偶像崇拝は悪魔崇拝に成るので止めるべきで
できれば、真理を共有する組織が管理する社会が良いと
思います。

ユダヤ選民思想は差別であり真理では
ありません。一応、天皇の由来の記事を転載します。



めざまし政治ブログ より

http://rakusen.exblog.jp/22854237/



遂に発見!天皇の出自=「百済王氏の氏寺だった百済寺を訪れる」引用(ミラーページ含む)
鹿島昇氏の「日本史のタブーに挑んだ男」 や、さらに詳しくは「日本侵略興亡史」などの書籍からもわかるように、

天皇の歴史は「百済・高句麗・新羅」の朝鮮史を組み合わせたもので、氏素性は百済の王家になった一族。神武天皇は元はエビスと呼ばれた殷人(シュメール人)の扶余族でタケミカズチとも呼ばれ、朝鮮百済を経由し、九州南倭を滅ぼし、博多に伊都国を建国した。神武天皇の妻が卑弥呼で、卑弥呼の実家はユダヤ系亡命者の公孫氏で神武天皇が亡くなった後は、宮崎県西都市にある日向・西都原に都を移し、倭の王国連合を統治した。

 なお蛇足ながら、「藤原鎌足」は捏造された人物である。白村江の戦いで勝利した新羅の大将軍・金庚信(ゆしん)と、唐に全面降伏し服従した百済近衛の将軍・郭務悰(かくむそう)を合成した人物である。
畿内の秦王国に新しく「日本」を作り、その内政に参与した。中臣氏とは伽耶国の古い家来(遺臣)の者たちである。

 私もこの西都原古墳も調べたが、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)やその父親のオオヤマズミの命(大山祇命)など古事記にゆかりのお墓や古墳が数多く点在していた。

 西都原古墳の鬼の窟古墳(鬼のいわや古墳)
(ただ、よい子はまねしないでネ!)

 なお九州国立歴史博物館で百済展をやっていたが、


肝心の「天皇の起源」などの事を隠しており、百済の里や西都原古墳などにふれていなかった。


そこで、その旨を批判するアンケートを投函しておいた。



 すると後日、九州国立歴史博物館の人から電話で連絡をいただき、「本来の百済展では最もハッキリ、百済の関係がわかる、大阪府牧方市にある百済寺の関連資料を展示すべきだった」と言っていた。

以下省略。