日韓交流、人のココロの交流
昨年の末に出会った寺下さん。
12月~3月の間に
なんと韓国まで歩きぬいたとの報告を頂きました。
思えば、この旅の初日に
ワタシが関わらさせていただいたことは
なんだか、意味深です。
http://ameblo.jp/maemori03/day-20091227.html
韓国では、すばらしい歓迎をうけていたようです。
ワタクシは、寺下さんに
日韓の歴史認識が180度違う
上の写真は
伊藤博文を暗殺した安重根のご子孫と寺下さんが
握手を交わしている写真です。
縁とはフシギなものです。
100年という数字にこだわって
何気なく立ち上げた
暗示していたのが
去年の12月27日だったというワケです。
ウィキペディアには、
死刑執行の当日、
安重根は世話になった日本人看守 の千葉十七に、
「先日あなたから頼まれた一筆を書きましょう」と告げ、
「為国献身軍人本分」と書いて、
署名し薬指を切断した左手の墨形を刻印した。
そして彼は、
「東洋に平和が訪れ、韓日の友好がよみがえったとき、
生まれ変わってまたお会いしたいものです」と語ったという。
1910年 3月26日 、安重根は旅順刑務所内にて処刑された。
伊藤が絶命してからちょうど5か月後であった。
と書いてありますが、看守 千葉十七は
ご近所 宮城栗原の人なのです。
草の根活動としての偉業を成し遂げた
寺下さんにココロから拍手をお送りしたいと思います。