Cap as Cap Can!! 俺は帽子とだってプロレスできるぜ日記
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2023年1月4日。
私のプロレス初めは・・・

東京女子プロレスin後楽園ホール!



1.4といえば
これまではほぼ欠かさず
新日本プロレスin東京ドームで
スタートしていた私ですが、
今年はちょっと宗旨替え。

さて
東京女子プロレスについて
簡単にご説明しますと

現在
女子プロレス団体と言えば、
LLPW X
OZアカデミー
アイスリボン
センダイガールズ
WAVE
ディアナ
我闘雲舞
SEAdLINNNG
Marvelous
PURE-J
といったところが
定期的に興行を行っており、

これら主要団体を
大まかにカテゴライズすると
全日本女子系
ディアナ、我闘雲舞、SEAdLINNNG、アイスリボン、センダイガールズ、Marvelous
JWP系
LLPW X、OZアカデミー、WAVE、PURE-J
の2つに分かれるます。

そして
東京女子プロレスは
このどちらにも属さない
特異な存在です。

なぜどちらにも属しないか?

それは
学生イベンター出身の髙木三四郎が
1997年に立ち上げたプロレス団体
「DDT」をルーツに持つ団体からです。

「文化系プロレス」をコンセプトとするDDTには
そもそも「男子プロレス」「女子プロレス」の概念などありませんでした。

当時のDDT内における女子プロレスへの私の印象は
格闘技経験などありそうもないユルイ女子プロレスラーたちが
男子レスラーたちとプロレスっぽいものを演じている・・・
というあまりよろしくないものです。
(そもそもDDTへの印象がそんな感じでした・笑)

それが
2014年
赤井英和の娘である赤井沙希のデビューによって、
DDT内での女子プロレスラーの存在が
俄かに注目を集めることになると、
これがきっかけになったのか
徐々に女子の選手層が厚くなるとともに、
坂崎ユカ、山下美優、瑞希、中島翔子、伊藤麻希といった
所属レスラーが個性を発揮しはじめます。

そして遂には
女子のみの興行が行える団体にまで
成長していったのでした。

よく考えれば
今や
DDTグループの一員として
CyberFightの傘下にあるわけですから、
ブシロードをオーナーに持つスターダムと並ぶ
立派なメジャー団体と言えるでしょう。



2021年には
SKE48の新井優希をデビューさせましたが
これも他の団体以上に
対世間を意識しての活動のように思います。

そんな蘊蓄じみた話はさておき。

私自身
最近の東京女子プロレスが
気になり始めた原因は、
坂崎ユカというレスラーの存在です。

彼女のことについては
また次回に書きたいと思います。
久々のブログ更新です。
 


そして
久々のブログレポートは
「行ってまいりました!龍艦砲トークショー!!」
 


残念ながら
天龍は頸椎手術のため、
この日はon-lineでの参加となりましたが
この二人ならではの
興味深い話がテンコ盛りの
腹いっぱいのトークショーとなりました。
 
今回は私の感想抜きで、
徹底再現させていただきます。
 
司会:天龍さん。久々のハンセンさんとの再会いかがですか?
 天龍(以下T):スタンの顔を見て元気が出たよ。
というか、スタンの顔を見て泣きたくなるのは
たぶん馬場さんの奥さんだけだけどね(ニヤリ)

司:天龍さんとハンセンさんが、初めて会ったのはいつ頃なんですか。
T:新日の地方巡業先で、偶然あったのが最初じゃないか?
ハンセン(以下H):違うよ。ジョージアのファルコンズレストというアパートだよ。
T:そうだ!そのアパートに俺も住んでいて、いつもハンセンはパンにソーセージを挟んだだけのホットドッグを、毎日毎日食べていたんだよ。
ハンセンはそれ以外の料理を全くせずに、お皿とフォークしか持っていないのに驚いたよ。
H:お前もいっしょに食ってたじゃないか(笑)
しかし、天龍の実力はジョージア時代から凄かった。
特にチョップは凄かった。
天龍のチョップは涙が出るほど痛いんだよ。
一発だけでなく、どんどん前に出てきて、
次々来るので避けられないんだ。



T:スタンが新日本から全日本に来てくれたときは、嬉しかったよ。
たぶん初試合は10分程度で、俺が負けていると思うよ。
司:ハンセンさんのラリアットの威力は、やはり強烈でしたか。
T:そうだよ。その結果が、ラリアットの結果がコレ(頸椎手術)だよ。
H:ごめんなさい!
でも、リングではどんな時も全力だったし、
逃げるのは嫌だったんだ。
その姿勢は、ファンにも伝わったと思う。
司:いろいろな選手がラリアットを使うことに、
当時のハンセンさんはどう思っていましたか?
H:天龍、長州いろいろなラリアットがあったが、
自分のラリアットが一番インパクトがあったと思っていたから
気にはならなかったよ。
司:お二人のエピソードとしては、
天龍さんの蹴りでハンセンさんが失神した
秋田での出来事が外せません。
H:あのときは天龍の蹴りが後頭部に入って、
それから先はまったく記憶がないんだ。
とにかくブチギレたことは覚えている(笑)
T:試合が終わった後、
控室にハンセンが来るというのをカブキさんから聞いて、
窓から逃げたんだよ。
カブキさんがスタンを止めてくれて、
「やばいから逃げろ!」って。
司:窓から逃げたという噂は聞いていたんですが、
本当の話だったんですね。
T:あの蹴りは、スタンが避けたから顎に入ったんだよ。
だから失神の原因はスタンが避けたことなんだ。
H:避けないと、もっとやられてたよ!
T:で、窓から逃げたものの、泊っているホテル外人レスラーと一緒だったんで、ハンセンが部屋に入るまで、俺はずっとタクシーにいたんだよ。
T:そして、それから‪4日後‬、馬場さんが涼しい顔で、長野で俺とスタンの試合を組んだんだ。ひどい話だよ(苦笑)
司:その試合はハンセンさんが勝って、PWFとUNの二冠を統一していますね。
H:それ、私が勝ったの?
T:その試合後も、控え室でボコボコにされたことを覚えている。
H:当時は私はちょっとワイルドだったので、それくらいのことはやったかも(笑)。
それに、天龍に頭を蹴られておかしくなってたからね。
そうだ、たしか最後のツアーでも、名古屋で天龍と当たっている。
その時も意識が飛んでいるだ。
だから、天龍に記憶を飛ばされたのは一回だけじゃない(笑)。
T:俺だって、長野でスタンのサッカーボールキックを受けて、
右瞼を15針縫ったことがあるよ(笑)
H:お互い全力でぶつかったよな。



T:馬場さんの奥さんから
ハンセンが辞めると聞いときは寂しかった。
何で辞めたの?
H:神さまからのメッセージさ。
T:ブロディとスタンにはプロレスの面白さを教えてもらった。
感謝してる。
H:それは最高の褒め言葉だ。

司:龍艦砲について、お聞きしたいのですが。
T:そりゃ、嬉しかったよ。
スタンの強さを知ってたから
これで楽ができると思った(笑)
H:いやいや、天龍の方が働いていたよ。
龍艦砲はうまく噛み合って、良い思い出しかない。
T:最強タッグで全勝優勝したぐらい最強だった!
H:天龍がパートナーだったからできたんだ。
でも、記憶に残っているのはやっぱり闘ったこと。
T:シングルで闘っていた時は余裕がなかったけど、
タッグは余裕があって助かったよ(笑)。
司:馬場さんから天龍さんがフォールを取った時も
パートナーはハンセンさんでした。
H:ジャンボも天龍もトップレスラーだったので
天龍が馬場さんに勝っても、俺に驚きはなかったね。
司:そんな最強の龍艦砲が、どうして解散したんですか?
H:そんなことは、よくわからない。
会社サイドの理由だろう。
T:そういうことを含めて、マッチメイクとは
ノウハウを持っている人がやれば、
お客さんを喜ばすことができるんだよ。

司:ハンセンさんは、天龍さんにお酒で潰されたことはないんですか?
H:自分の意思ではたくさん飲んだけど、
天龍に飲まされたことはないなぁ。
T:ハンセンはプライベートを大切にするタイプだったから、
無理に誘ったりはしなかったね。
それにハンセンはスタミナをつけるトレーニングを大事にしていたので、
あまり夜遅くまでお酒を飲むことはなかったと思う。

司:ハンセンさんは、天龍さんが全日本を辞めた時どう思われました?
H:トップレスラーは自分で自分の道を切り開くものだからな。
天龍の選択はリスペクトしているよ。
司:では天龍さんが引退されると聞いたときは?
H:レスラーにとって一番難しいのは、引退の時期。
個人差もあるが、それは本人が決めることだから。
天龍の引退興行に呼ばれたのは光栄だったよ。
T:自分のプロレス人生にスタンは必要な人だった。
H:それは俺にとっても同じさ。
T:こんなに長くプロレスできたのは、
ジョージアのソーセージのおかげだよ(笑)
H:天龍は文句言いながら、いつも食ってたよな。
T:今日は、スタンの言葉で元気が出たよ。
H:いつでもモチベーションをあげてやるから、
カムバックして来い!
 
司:今日、天龍さんが来ているTシャツは鶴龍コンビのTシャツなんですが、
ハンセンさんは気づいてましたか?
H:そうなのか?おれにはTシャツの鶴田の顔が馬場に見えたよ。



司:ここで飛び入りゲストのカブキさんが登場です!
秋田のアクシデントでは、カブキさんが裏で活躍されていたそうですね。
カブキ:失神から覚めて暴れまわるハンセンに、リングサイドから「落ち着け落ち着け」と言ってたことは覚えているね。
H:カブキは、日本でも世界でもトップをとった大レスラー。
今思えば、秋田での事件のとき、僕を止められるのカブキ以外いなかった。
T:あの時、カブキさんが「窓から逃げろ!」っていてっくれたから助かったんだよ。
司:それでは最後に、お互い一言ずつ。
T:スタン、今度ホットドッグ食う時はオニオン入れてくれよな!
S:OK!


 
このトークショーで一番心に響いたのは、
天龍の「スタン!」という呼びかけでした。

ハンセンのことを
「スタン」と呼べる日本人は
きっと天龍だけ。

心身を削りながら闘ったもの同士の
熱い友情を感じることができた
トークショーでした。



ユース!

そして、
今日、
アントニオ猪木の訃報を聞きました。

とうとう
この日が
やって来たかと
思うものの

まだ心の整理がついていません。
このことについては
いつかまた。。。。




前回のブログで
コロナに感染したことを
お伝えしました。

ご心配をおかけしましたが、
無事回復いたしました。

そこで
発症から
回復までの経緯を
簡単に記しますと

7月16日朝
のどの痛みを感じる。

この日、
知人と
ノア武道館大会観戦を
約束していたため、
念のため
PCR&抗原検査を銀座で受ける。

抗原検査は
その場で「陽性」判定(笑)



PCRの結果は
翌日ということでしたが、
検査員の方から
「PCRも間違いなく
陽性だと思いますから、
病院で診断を受けてください」
とのこと。

つまり
ここの検査員は
医者ではないので
コロナという診断は下せないので、
医者に行けと。

しかし
この日は土曜日。
運悪く
月曜日も祭日のため
病院は
火曜日まで休診。

まぁ
しゃあない。
泣く泣く、
武道館大会はあきらめて
帰宅。

武藤vs清宮、見たかったぞ(´;ω;`)ウッ…



5,000円もしたのに。

のどの痛みはあるものの
熱は微熱程度で
食欲もある。

味覚障害もない。

検査してなかったら
コロナとは思わないだろうな。。。
って感じ。

翌日17日。

体温は38℃5分。

平熱は36℃くらいなんで、
わたし的には
高熱。

しかし、

うーん

そんなに
厳しい状況という
実感はなし。

のどは
相変わらず痛い。

18日
熱はやっぱり38℃台。

のどは痛い。
それ以外の自覚症は
やっぱり無し。

19日
あさイチで
かかりつけ医院に
TEL。
診断をお願い。

む、む、む、困ったなぁ
という受付の方の気配を
感じたものの
では、昼の休憩時間に
来てくださいとのこと。

あっ、入口からではなく
裏口からお入りくださいね!
と明るく言われる。

お昼になったので
医者へ。

徒歩5分。

裏口から
ひっそり入る。

人気のない
荷物置き場のような部屋に
通される。

体温を測られ、
15分ほど待つと、
お医者さんがいる
診察室へ♪

診察室に入ると
簡易の宇宙服を着たような
先生が私を手招き。

吸い込まれるように
近づくと、
いきなり
鼻に綿棒を突っ込まれ
ぐりぐりされる。
ぐりぐりが済むと
再び
荷物置き場へ。

30分ほど待ったでしょうか。

めだたく
PCR検査は
陽性!

はい
私はコロナです!



発症した16日から
数えて10日後の
26日まで
自宅療養しなさいとのこと。

しかし、
今時は便利なもんで
仕事は
On-lineで
ほぼ支障なし。

そして
翌週
27日水曜日

チャンチャカチャ~ン♪

無事娑婆に
復帰いたしました!



演歌チャンチャカチャン

これぞ
無責任ソングの決定版!

有名演歌曲の
さびの一節を歌った後に
チャ~ンカ♪
チャンチャンチャンチャン♪

この繰り返し(笑)

歌詞への思い入れも
ありがたみも何にもない。
チャ~ンカ♪
チャンチャンチャンチャン♪

これさえ叫べば、
それだけで楽しい!

もうこうなったら
コロナチャンチャカチャンを
みんなで歌うしかない!

PCRで陽性だ
チャ~ンカ♪
チャンチャンチャンチャン♪

保健所に電話してもつながらず
チャ~ンカ♪
チャンチャンチャンチャン♪

人目を忍んで外出だ
チャ~ンカ♪
チャンチャンチャンチャン♪

濃厚接触、黙っとこ
チャ~ンカ♪
チャンチャンチャンチャン♪

しかし、
ほんとにコロナって
なんなんなんでしょうね。

たしかに
初期のコロナは
重症率も致死率も
低くはなく、
なによりも
得体のしれない恐ろしさは
警戒すべき
存在だったと思いますが、
今の
コロナは
明らかに弱体化しています。

少なくとも
私の場合は
夏風邪程度の症状。

もちろん
症状は人様々。

私が出歩くことで
誰かを感染させ、
重症化に追い込むことも
あるのかもしれません。

しかし、
それは
普通の風邪でも
同じはずで、
最悪のことを基準に
社会行動を制限しとったら、
なんにもできないと思うのです。

プロ野球も
プロレスも
歌舞伎も
お芝居も
郵便局も
保育園も

まじめに検査すれば
するほど
陽性が検出され、
クローズドに。

陽性判定されったて
別に
特別な診療を受けることもできず
自宅待機を要請されるだけ。

「もはやコロナは特別な病気ではありません。
気にせず生活しても大丈夫です!」
と高らかに宣言してくれる
そんな政治家いないのかなぁ。
いるわけないか(笑)

さて
みなさん

最近の身の回りに起こった
チャンチャカチャンな出来事、
チャンチャカチャンと感じたこと
ぜひ教えてください。