先日

先輩に誘われ

立ち飲み屋へ

行きました。

 

 

互いの

近況報告や

思い出話を

する中で

 

 

先輩が

どんな話題でも

 

 

ポジティブな

合いの手

入れてくることに

凄みを感じました。

 

 

 

 

前職の教員を

辞めたことには

 

 

「年々(ぼくの)表情が

硬くなっていたから

巣立ちの時期だった」

 

 

 

寺子屋活動の

苦労には

 

 

「苦労以上の

喜びがあるから

続けられる。

 

 

そんな仕事

ないよなぁ」

 

 

 

以前に比べ

職場が遠く

通勤時間が

かかることには

 

 

「これまで

家と職場の往復を

わずか10分で

していたきみに

 

 

神様が

『ゆっくり社会を

見なさい』

と言ってる」

などなど

 

 

ものの考え方に

話し相手への

深い気遣いがあり

 

 

有意義な時間を

過ごせたのです。

 

 

 

 

それ以上に

すごいなぁと

感じたのは

 

 

トイレ

立つとき!

 

 

会話をしながら

トイレを我慢していると

気付かないように

 

 

「ちょっと考える時間いるわ」

「熱くなりすぎた…休憩」

「ここからが本番なので

整えてきます」

 

都合5回の

トイレごとに

見事な言い回しで

離席するのです。

 

 

気遣わせない

を超えて

気付かない

 

 

その表現の幅に

思わず

 

 

「日本語長者」

 

 

という言葉が

浮かびました。

 

 

 

 

「雉を撃つ」

なども

そうですが

 

 

額面どおり

受け止めると

気付かないけど

 

 

後になって

その意味に

気付かされる

表現というのは

 

 

本当に

細部に渡る

気遣いがあります。

 

 

ぼくも

日本語長者

なりたいものだ

と思った夜でした。

 

 

では、また明日!

 

 

 

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