これまで

子育てセミナーや教育講演会を

してきたぼくにとって

やはり教育界で起こっていることは

気になって仕方がない

 

 

 

先日スマホに

「日本の大学院への進学は

如何にリスキーか

オンラインニュースの通知が届きました。

 

 

反射的にタップをすると…

 

悲惨な現状が報じられていました。

 

要約すると

科学誌『NATURE』に

日本は研究者数では3位だが

研究成果や水準では世界レベルに及ばず

引用回数は13位にまで低下している

という記事が掲載されました。

 

 

問題視されている大学院生は

就職や研究費獲得に苦しむ

一方

 

 

1990年代初頭から2010年代前半までの

大学院生の増加に対して

受け入れ環境が追いついておらず

大学院教育の荒廃

研究職の劣悪な待遇など

 

 

複数の問題を抱えているそうです。

 

 

この問題の根っこには

就職活動の失敗

社会で働く目的の喪失から

大学院へ進学する学生も少なくない

ことも

関係しているようで

 

教育行政や研究の価値の見直し

学生の意識改革や環境改善

取り組む必要性を訴えていました。

 

 

 

大学院と言えば

学問の府の最高機関

研究機関

という印象があります。

 

 

その学問や研究というのは

往々にして

経済活動とは直結するものではないのです。

 

 

なかには

真面目に忍者の研究をしたり

ブルマーの歴史を研究していたり

 

 

 

研究と言っても

目的がよくわからないものもあります。

 

 

ある意味

最初から目的が分かっている研究は

むしろ答えも大体見えている

と聞いたこともあります。

(↑だいぶオブラートに包んでみました)

 

 

こどもの育ちもそうですが

一見無駄なように思えることが

 

ある時に一気に

そうした経験が

つながって
飛躍的な成長を

遂げるものです。


後になってあれが良かった
これに意味があったと
言えることはありますが


案外大人が意図していないことが
大きな決定打になっていることが多いものです。

 

 

 

 

学問は本当にそこに価値を見出せる人
遣り甲斐を感じられる人のもの



であってほしいと願うと共に



資本主義社会において

経済活動と結びつかないものを大切にできる

社会の深い理解こそが

学問の発展につながるのかなぁ

と思った次第です。

 


何だか今回のブログ

高尚だなぁ。

 


では、また明日!

 

 

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