「落下情あれども

流水意なし」

 

 

これは

「魚心あれば

水心あり」

ということわざの

対義語なんだそうです。

 

 

何とも切なく

美しい自然の摂理を

言い表していますよね。

 

 

さて先日大阪駅で

電車を待っていると
 

 

家族連れ観光客4人で
乳母車(←昭和表現か⁉︎)を担いで
階段を上がってきました。

 

 


 

 

見れば乗っているのは
明らかに5、6歳ほどの
大柄なこども
 

 

 

体が不自由なわけでなく

 


電車を待っている間
自ら降りて
何やらバギー(←昭和表現か?)の
荷物入れを物色しているのです。

 

 

その光景に一つ

思い出したことがありました。

 

 

娘が小さいころ

できるだけ歩かせていました。

 

 

歩くことは

こどもの好奇心や

感受性を豊かにしたり

運動能力と共に

脳の健やかな成長を促したり

する効果があると聞いていたからです。

 

 

しかし

そこはこども

 

 

その日の気分で

「もう疲れたぁ。だっこ!」

となるときもあり

 

 

 

腕がちぎれそうになりながら

抱きかかえて帰ったこともありました。

 

 

 

親の都合だけ考えれば

こどもには

ベビーカーに座ってもらって

動画でも見て

大人しくしてもらっている方が

助かるときがあることは

 

 

同じ親として理解できます。

 

 

 

ましてや観光旅行ともなれば

こどもが階段を上ることを

待っていては

予定どおりに楽しめませんからね。

 

 

 

ただこどもの視点で見れば

自分の目で見て

自分の足で歩いて

色んな感動をすること

が大切なことで

 

 

 

仮にそれが大人のサイズ感からして

狭い世界観だとしても

とても価値のあるものなのではないでしょうか。

 

 

 

こどもが歩いて疲れないように!

実はそれがこどもの

好奇心の成長や脳の働き、健康の促進を

阻害するものだとしたら

 

 

「落下情あれども
流水意なし」

 

 

ということになるのかもしれませんね!

このことわざ

こんな使い方で良かったのでしょうか…?

 

 

では、また明日!

 

 

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