震災後の報道されない話 | まえじの電子日記

震災後の報道されない話

□感謝の気持ち

厳美渓のお店の前や通路近辺に街の人が道沿いに立っていて、
バス停でバスを待っているときに現地の街の人とお話をした。

まえじの電子日記-厳美渓バス停


なんで道沿いに長い時間立っているのか。
復興の為に毎日作業をしている警察関連の人たちが出発する時間と戻ってくる時間に車が通る通路に立って

「いってらっしゃい」
「お帰りなさい」
と大きな声で挨拶をしているそう。

宿舎が近くにあるからと、あの震災の後から毎日しているそう。

戻ってきた警察関連の人たちも、スピードをゆるめ敬礼。

この瞬間凄く胸が熱くなった。

テレビで報道されていないこの風景。


□兵庫のおっちゃん

達谷窟毘沙門堂の外でタクシーを待っているときに出会ったおっちゃん。
「厳美渓どこ?」と原付から降りて観光客の私たちに聞いてきたおっちゃん。
岐阜ナンバーに驚いていたら、兵庫から原付で岩手に来たそう。
もう滞在して何日も建っているみたいだけど、凄い。行動が凄い。

震災で未だに自宅に住めず避難している所に、お菓子やおもちゃを届けるためにやってきたらしい。
ご飯とかでも良いんだろうけど、子供が笑顔になれるのっておもちゃやお菓子だろ!って。
そして毎日宿から原付で陸前高田の避難場所に支援物資を持って行っているらしい。

でもおっちゃんは、「ボランティアしにきてるけど観光も兼ねてるからボランティアじゃねえな」なんて言ってたけど、ボランティアとかそう言う言葉じゃ表現できないくらいキラキラかっこ良かった。

とある避難所で、一人の方からあの日の写真を印刷した写真を「せめて持って行ってください」と言って渡された写真を見せて頂いた。

パッと見たとき普通の海かと思うほど。
街に津波が広がっていた。

まえじの電子日記-津波3.11


おっちゃんの話を聞いていて、
何も出来なくても自分が出来ることをすることが大事なんだなと改めて感じたし、
現地に行けなくても知ろうとすることの大切さを感じた。

そんな胸が熱くなっている中おっちゃんが、
「そう言えば息子がさ、大学6年も行ってさ、俺、息子で1,600万円くらいすっちゃったよ」
って言ってた。
すったって。。。ギャンブルみたいな言い方ーーー(笑)

そんなおっちゃんに癒された1日でもあったなー。


東北に行って知らない3.11以降の様々な物語があった。

報道されていることが全てじゃないと改めて感じた。
だから現地に行くことは凄く意味があると思った。

ボランティアでも観光でも、知りたいと思うなら行くのが良いと思った。


人って凄いなぁ