正月は珍しく妻の実家がある都城にいるのだが。

たまたま「商店街が復活した」として有名な油津商店街に行くことができた。やはり話を聞くだけと実際に行って自分の目で見てみるのでは全く理解が違う。一番びっくりしたのは、商店街に山形屋があったこと。鹿児島・宮崎で一番大きなデパートである。というか、両県には山形屋以外の日本百貨店協会加盟のデパートはなくなっている。

商店街の繁栄には言うまでもなくいろんな条件が影響する。たとえば油津商店街でいえば、人口。人口5万人というのが、「飲食も含め全国的なチェーン店が進出を躊躇するギリギリのライン」だとか。



翻って都城市。中心商店街が完全に崩壊してしまった。シャッター通りではない。駐車場だらけになって、建物がないのである。歩道にアーケードがついているから、ここが商店街であったことはわかるが、店がない。

何故こんなことになってしまったのか。色んな不運が重なったとしか言いようがない。

端的にいえば、イオンにやられた、ということになる。都城市は人口16万5千人。非県庁所在地の地方都市としてはかなりの数である。それにしては商店街がなくなったというのは、何故なのか。いろんな悲運が重なったと思う。

まずイオン。都城には巨大なイオンのショッピングセンターが2つもある。1つは元ダイエー、もう1つは元ジャスコ。ダイエーがイオン傘下に入ったため、結果的にイオンモールが2つになってしまったのだ。

都城のダイエーの歴史は古い。1973年開業。都城駅近くに、巨大な無料駐車場を備えたショッピングセンターとしてオープンした。都城の中心市街地は西都城駅近くにあるので、中心市街地対郊外型のショッピングモールという構図が、この時から始まったのだ。都城は広大な盆地の中にあり、商圏範囲も広く、完全な車社会だったので、ダイエーのショッピングセンターは無料の駐車場を武器に中心市街地から多くの客を奪った。

もう一つの元ジャスコのショッピングセンターは、まだ鹿児島宮崎に進出していなかったジャスコが、2003年にオープン。これは都城の広大な商圏を狙って作ったものである。このジャスコの商圏は宮崎県内都城市周辺だけでなく、鹿児島県の志布志市や鹿屋市まで及ぶ。今でもイオンは鹿児島県大隅半島には進出していないので、都城の広い商圏はそのままである。ある意味、地元商店街にとっては、広い商圏が仇になったのだ。

対する中心商店街については、次回に続く。